学問の仕方・教養の身につけ方


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001 2012/07/01(日) 19:01:58 ID:QtMoUv82mg
本を読むだけじゃ全然知識として定着しない
本をノートに要約したって結局それは本に書いてることだから二度手間
知識人の話を聞くのも本を読むのと同じ
受験のための勉強じゃない、教養のための勉強ってどうすればいいですか?
テストの点数のための勉強じゃない、学問を修めるための勉強ってどうすればいいですか?

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002 2012/07/01(日) 20:22:48 ID:vTNYsIABGs
>教養のための勉強ってどうすればいいですか?

って、ノーベル賞獲るためにはどうしたらいいですか?って感じだなあ。
よくわからんが、教養ってそれが目的になったらダメなんでは?
勉強すること自体が楽しいと思える人が教養人だと思うんだが、如何?

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003 2012/07/01(日) 21:04:40 ID:H7Owp1Ja36
教養とは学歴などとは一番離れた位置にある。
自分を振り返り自分を変えてゆく努力を続ける。これが教養です。
東大出の孤独な秀才が天を仰いで嘆いた。
あのバカたちはどうして私の前に集まらないのか。
私には分からない。その時どうなるのか。
カラスが飛んできて開けた口に糞をたれ<あほう,あほう>と鳴いて飛び去るだけである。
この風景は,いつでも,どこでも永遠に変わることがない。

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004 2012/07/01(日) 21:29:22 ID:2IwjtSMl8g
>>1

自分で意味を咀嚼する。

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005 2012/07/02(月) 01:36:21 ID:4B9k26YPw.
誰でもいいけど友人や家族にその取り入れた知識を披露してみる。
すると、思いもよらないところでツッコミ入ったり質問入ったりする。
で、答えに窮するようならもう一度突っ込まれた弱い部分をポイントによく理解してみる。
あるいは最初からツッコミ入らないように徹底的に理解して披露する。

自分では理解してたつもりでも意外と読み込みが弱く理解がもろい部分があったりして、
そこを補強してみると驚くほど知識が自分の物になってる。忘れにくい。
学問はインプットも重要だけど、アウトプットの仕方も超重要。

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006 2012/07/02(月) 12:48:48 ID:A8ZBDqGOI6
例えば数学だったら1+1=2に疑問を感じる頭でないといけない

要は「知る」ことと「自分で考える」ことだと思うから

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007 2012/07/02(月) 17:22:31 ID:N/A1q51qCY

西部萬

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008 2012/07/02(月) 17:48:43 ID:IAQGEl19e.
削除(by投稿者)

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009 2012/07/02(月) 18:25:12 ID:698kyawaco
スレ画、誰??

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010 2012/07/02(月) 20:21:35 ID:7ms4IpG7Gc
西部邁

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011 2012/07/03(火) 07:34:29 ID:ztZX2Waut.
5のいう通り、出力が肝だろうね。
そのためには勉強会に参加したりするのがお勧め。

それもちゃんとした学者がやってるものだと尚良い。
俺も教養があるとは言えない方だけど、
単純に知識欲を満たすのは楽しい行為だと思うよ。

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012 2012/07/03(火) 11:50:04 ID:kEfv45Uh8A:au
読書量と知識量って比例しないのかね
勉強会や授業だとノートとるから何となく知識が形として手元にのこる気がするけど、読書は暇つぶしの域を出ないような
俺の読書に対するイメージが歪んでるのかもしれんが

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013 2012/07/03(火) 13:40:22 ID:ztZX2Waut.
いやあ、基本は読書でしょう。

動画媒体や授業形式だと受動的に時間を拘束されるから、
どうしても効率が悪い。

読書週間のある人はある程度速読も出来るし、
単純な詰込みなら読書してる方が効率良いよ。

とは言え、学生レベルで大学の教科書読んでたって
100%理解できるなんて稀だし大抵は勘違い。
そういう意味で授業で質問したり勉強会で意見交換することは必須だ。

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014 2012/07/05(木) 04:49:03 ID:P8D01DdEvs
私の弟は灘から東大という王道のような道を歩んでいましたが
小学生の頃から父親が「バカとは交わらせるな。アホが移るから」と
友人関係も一切親が定め管理していました。
異常とも思える親の方針に当時は疑問を持ってむいましたが
自由にさせてもらった私と違い本当に勉強はよく出来ました。
そういう意味では「環境」も大事なのではと考えます。
ただそれが正しいかと言えば違うようにも思えます。

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015 2012/07/05(木) 08:54:27 ID:UytkoWyIXk
>>14
そういうのもある程度必要と思う。
イギリスの寄宿舎なんてのは正にそういう純粋培養の意味合いだし。

ただ、教育の専門家が選別するのと違って
親とは言え素人の個人が判断するのでは、
実に偏った大人が出来上がりそうだ。

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016 2012/07/07(土) 01:23:01 ID:HPK.rlxnp.
本は長い本でも一気に読み通さないと身につかない気がする

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017 2012/07/07(土) 19:01:16 ID:Wg2oXLJ4L6
教養はひたすら本を読むことである程度蓄積される
何で本ごときで教養が身に付くかというと、活字に慣れる
ことで新聞への拒否感がなくなる、まとまった時間ひとつ
のことをする集中力がつく、新しい本への興味が湧くこと
で、新しい分野への好奇心が生ずる

一気読みなんかする必要はないが、読み終えるまでちゃん
と読むくらいのことはしてくれないといかん
あと、このスレ的に言うとマンガは本ではない

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018 2012/07/07(土) 19:04:32 ID:Wg2oXLJ4L6
長いので分割した

学生の勉強の仕方は社会人ではいろいろ通用しない
とにかく時間がない
遊びの質も変わってくるくらいだから勉強なんぞに
ちんたら時間かけてるヒマはないのだ

ということで、一読して理解する能力が社会に出て
からは必要になる
学生時代の勉強は、その土台作り

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019 2012/07/08(日) 11:31:46 ID:WgTLC0JGw6
>>1
>本を読むだけじゃ全然知識として定着しない

自身がその内容を必要と感じていないから理解に至らず
読む行為をしているに過ぎない。
何の為に読むのかを心底納得するところまで何度でも立ち返る。


>本をノートに要約したって結局それは本に書いてることだから二度手間

言葉の暗記をしているに過ぎず、
本質の理解が無いために一時的に記憶できても
教養として人生のスパンで役立つほどの記憶と応用には至らない。


>受験のための勉強じゃない、教養のための勉強ってどうすればいいですか?

その学問なり研究なりを自分の人生の中でどう活用するのかを徹底的に考え詰めて臨む。
教養はそれらを突き詰めて自身の考え方生き方に応用できている状態でもある。

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020 2012/07/11(水) 23:45:52 ID:xydzzNmdZM
要は集中して本読んでそれについて議論するだけでいいと

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021 2012/09/02(日) 21:59:16 ID:PjAMn6.jms
本に線引いたりするもんなの?

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022 2012/09/05(水) 00:53:01 ID:iIF4AA9fIU
やはりノーベル賞って芸術作品に通じる感じがある。
いくら真理を追求しても方向性とセンスが悪ければ意味がない。

芸術にも模倣の部分が99%だけど、1%の突然変異が時代を前へ進める。
学問も同じ。

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023 2012/09/21(金) 04:07:22 ID:xnEsnVkoHA:SoftBank
オメーらみたいな半端者が偉そうに。

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024 2012/09/23(日) 21:18:05 ID:RkhJc/RLHo
本読んで何か覚えたら、知恵袋で回答してみる。
やはり他人に説明するのが自分の身につくのに一番役立つと思う。

間違った説明すると他の回答者からツッ込まれたりするし、
答える以上はBA欲しかったりするから自分なりに良く考えて回答書く。

>>5氏のように生身の人間に披瀝できれば一番いいんだけどね。

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025 2012/09/26(水) 04:48:48 ID:6hjYCVSnxI:au
>>5 そうそうまた突っ込まれる箇所
性別年齢過去の経験などからくるものだから

ひと人間により違う★所☆が面白いし 質問とかされたらこちら側も学習出来るよね!

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026 2012/10/13(土) 20:39:25 ID:DKfPnLD63U
うーん、さしあたって「国家の品格」でも読み直してみますね。
神保町の喫茶店で。

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027 2012/11/08(木) 21:31:47 ID:l95GMbUDPY:au
削除(by投稿者)

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028 2012/11/10(土) 00:22:40 ID:XzrBjEt1bE:au
教養なら帰納法
応用は演繹

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029 2012/11/12(月) 01:51:30 ID:GT9WQEnOlc
>>26
せっかく神保町にいくなら、ブックオフで売ってないものを買おうぜっ!

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030 2012/11/21(水) 00:18:27 ID:spdAi1jHpQ
落ち着いたところで下げたまま好き放題かくが

あえて、知識と教養を分けるなら、
知識を育むのは本屋教育だとしても、
教養を育むには人とのつながりが避けられない。
例えば、IPS細胞の山中教授は類い稀なる、知識と実績を持った知識人だ。
だが、彼が所構わずその知識をひけらかし、その話バカリしたとしたら、教養人ではない。
結局、教養を養うには、バランス感覚という物が必要になる。

知識の方向性も選ぶ
 →アニメや漫画にばかり詳しくても教養ではないが、映画なら教養となりうる。
話術や文章力も含む
 →いくら「良い話」でも、長話や説教では教養としては評価されない。
持っている知識量と見せる知識量を制御できる
 →一般人にも分かりやすく、なおかつ興味をひくレベルで話さなければ

知識を深めるには皆さんのやり方で良いと思うが、
こと「教養」となると、対人能力も関係してくるように思う。

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031 2012/11/25(日) 13:27:49 ID:TzZU8ZQI5.
本読んでも頭に入らない
受験勉強とかだと暗記したり問題集を解いたりがあったけど、
趣味程度の読書では漠然としか理解できん

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032 2012/11/25(日) 17:46:40 ID:YeIAwwKjZI
本読んでマジで勉強するなら
ノートにまとめ直ずレベルじゃないと「分かった気になるだけ」だよな。
自覚があるだけマシなんじゃね

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033 2012/11/29(木) 18:16:47 ID:2YZlAfGQaQ:au
聞きかじった意見や知識を自分のもののように言うのと自分の意見を持ってるやつはなんか違う

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034 2012/11/30(金) 12:51:40 ID:i3gsIV8CzA
>>28
まぁこれだよな
思考方法だけど演繹使う奴は中身がなく上から目線の書込みが多い。

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035 2012/12/01(土) 19:20:43 ID:KJwEz/E7QE:au
高卒の俺が最近歴史と思想の本読み漁ってて、社会学や経済学にも興味があるんだが、やっぱぼんやりとしか頭に入らん
どういった風にその事件が起きたのか、どういった人がどんな感じの思想を遺したのかはわかるが、具体的に誰がいつどこで何をしてどうなって、とか、何がこうだからこれはああでこういった思想になる、ってのは全く覚えられん
本読みながら重要そうな部分をノートに抜き出してみようかと思うんだが、今まで全く勉強した経験がないからノートの取り方がまずわからん

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036 2012/12/02(日) 04:46:56 ID:P6lH9Ntwoo
>>34
どうだろ、思考方法と人格はあんまり関係ないんじゃね?
個人の体験による教訓を押し付けてくるやつは、
一般論振りかざすやつよりもアレだが、思考方法的には帰納法だぞ

けっして煽る訳ではないが、
>繹使う奴は中身がなく上から目線の書込みが多い。
という上から目線の書き込み(冷静にみれば自覚はするだろ?)も、帰納法だしな。

>>35
まーなー、習慣がないとな。
最初は傍線だけでもいいんじゃね。
個人的には【連関図法】のような図を書いて考えるのがやりやすくて好きだ。

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037 2012/12/02(日) 21:06:56 ID:/yKcA5f7nM:au
ほとんど図書館の本だから駄目だ
とりあえず単語だけでも抜き書きしてみるか
読み通してからまた読み返しながらノートとるのがいいかな
それともいきなりノートとりながら読むか
まあいいや

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038 2012/12/03(月) 15:53:31 ID:LAWn14PSRU
手間を惜しまないなら、全文書き写すってのはあるけどな。
字もうまくなるw
とはいえジョーダンじゃなくて、昭和の文豪やら物理学者やらが推奨してる。
だれだか忘れたから怪しいが。寺田寅彦だったっけな

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039 2012/12/04(火) 02:56:11 ID:6lfGD.9ms6
米内光政は一回目は適当に読み通して、二回目は少し考えながら読んで、三回目は理解しながら読んで教養を身につけたらしい
ノートを取るにしても、一度わかんなくても読み通してみて、2回目に考えながらノート取るのがいいのかな

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040 2012/12/19(水) 15:48:40 ID:zbiOZ2/Eqc
普通に心理学

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041 2012/12/25(火) 11:47:31 ID:ZUfig/YoZY
ここ数日で読んだ偉人伝とか思想史の本とかが面白かったから色気だしてキルケゴールやデュルケーム読もうとすると意味不明だった
勉強苦手だったが現代文だけは得意だったから自分の読解力を過信してたのもあるが、それ以前に論理的な文章の形や用語の用いられ方についていけなかった
どういった本から読み始めるべきなのかね
一応死にいたる病とか、古典的な名著とされてるものに手を出してみたんだが
もうちょっと小説とか歴史とか物語性のある本で読書になれてみるべきか

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042 2012/12/31(月) 13:20:39 ID:Kzf3gTOAN2
社会人になると義務教育の時と違って、自分の関心のある事柄を自分のやり方、ペースで試行錯誤
するのが楽しくなるよね。こういう掲示板で関連記事が出たときに意見を戦わすのは本当に楽しい。

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043 2013/01/02(水) 11:09:45 ID:HIcX6mZ.e6
学生時代の勉強は、
自分から何らかの目的をもってやってないと
将来今まで興味のなかった何かに関心を持った時に勉強したいと思った時
どこから手を付けてよいか組み立てられなくなる。
大学入試は、本当はその練習台として存在している。

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044 2013/01/09(水) 12:20:50 ID:cJ7ejCoflw:au
日本思想の研究がやりたいがアカデミックな訓練を受けてない俺は読書に頼らざるを得ない

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045 2013/01/09(水) 22:00:50 ID:m5FgT03.mE
読書ノートつけるのは面倒だけど、読んだ本のタイトルと作者だけでもメモっとくと内容が思い出しやすい

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046 2013/02/15(金) 02:02:16 ID:hIy096EPEU
若い人が教養とか何に使うのですか?
好きな事を思い切りやったほうがいいと思いますが。

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047 2013/04/22(月) 22:35:43 ID:j300XnD2B.
韓国人の反対をやれば民度向上間違いなしと朝鮮人に教えてやりたい。

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048 2013/07/16(火) 15:11:29 ID:98o.lobNKM
フィールドワークのない読書知識だけだと頭でっかちになるだけなんだよね
ただの理屈臭いおっさんの出来上がり
朝生での西部邁をみてればただの老害
議論の腰を追ってばっかり
俺が優れてるとかそういう事じゃなく、単にKYなおっさんというだけ

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049 2013/07/16(火) 17:15:49 ID:jNKR46jhsQ
サロンを見つけて
切磋琢磨するしかない

教養を写す鏡が無いと虚しいだけ

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050 2013/07/17(水) 10:57:23 ID:rdVbVgQFTo
>>48
ものによるだろ。
教養として哲学を学ぶ際、フィールドワークしたってしょーもない。

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051 2013/07/21(日) 10:22:22 ID:W4j0CX2Dos
大卒 理系卒の俺からいうと
読書は嫌いだ

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052 2013/08/17(土) 20:20:52 ID:7GPHBZhRls
知識を頭が満タンになるまで詰め込んでも
一般社会で人を相手にして生活するのに必要な知識がない人をよく見かける。
主に公務員に多いのだがクソの役にも立たない資格を集めて喜んでるオッサン。
そんなオッサンが仕事してるのを見たら普通の人はそのドンくささに腹が立つ。

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053 2013/08/17(土) 23:01:09 ID:Vt/PuQFuzA
それはただの資格マニアなんじゃないかな(笑)
趣味みたいなもんだから、そっとしておいてやりなよ。

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054 2013/08/26(月) 06:16:46 ID:JpbhvZQw9c
>>50
どういう著者が、どのスタンスで、どの程度の知識レベルなのかも知らないで読んだ本なんぞ
馬の糞か豚の餌

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055 2013/08/26(月) 15:38:42 ID:LfQbAzf8tI
>>50
それはフィールドワークの必要性とは全然関係ないし、
そもそも著者のスタンスなど関係なく読めるのが哲学。
君の言ってるのは哲学でなく、哲学史だね。

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056 2013/08/26(月) 20:50:24 ID:1Ll8fgW8iM
すでに教養(主義)は随分前に死亡宣告を受けていますね。

もともと教養は、受験のための学問でもなく、金を稼ぐために役に立つ実学的知識でもない。
それは、もともと文化の享受を通じた「人格」の向上という目的を持っていましたね。
旧制高校や帝国大学の学生文化などがまさにそうでした。

日本の代表的な教養小説に『三太郎の日記』がありますね。
こんなのを読むと教養(主義)というものがどういうものだったか、よくわかります。
ドイツではもともとビルドゥングスロマーンといって、
ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの・・・』やトーマスマン『魔の山』などが有名ですね。
これらに共通するのは、主人公が様々な経験を通じて人間的・人格的に成長していく(自己形成する)という構図です。

で、現代です。(特に大学の大衆化以降)
「人格」を磨くとか向上させるなんていうことが、とても意味・価値があることとは思えなくなってしまった。
わかりやすく言っちゃうと、
「哲学?文学?芸術?それ何の役に立つの?意味あるの?それで人生よりよくなるの?」
「そんなモン知らなくても人生楽しく暮らせるじゃん」というのが、大学で教養科目を学ぶほとんどの大学生のホンネですね。
つまり、教養は「リア充」にはつながらず、下手をするとその対極にあるものとすら考えられたりする。(コミュ力不足の学問オタク?)
もっと言えば、
「哲学や文学に詳しいのと、AKBに詳しいのと何が違うの?どちらも実生活には何の役にも立たないオタクじゃん?」
というように、知の領域に凹凸がなくなり、すべてがフラット化するという現象が(特にポストモダンの議論以降)起こっている。

そんな時代に教養を説く意味は何か?
それを考えるにはまず、筒井清忠『日本型「教養」の運命』や、竹内洋『教養主義の没落』などが必読文献ですね。

ちなみにこのスレで話題になっている「本の読み方」については、「本の読み方を説く本」というのがありますので、まずはそういうのを読むといいかもです。
自分のおすすめは、内田義彦『読書と社会科学』や外山滋比古『思考の整理学』などです。どちらも古い本ですが今でも十分読むに値する本ですね。

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057 2013/08/27(火) 10:40:35 ID:JY0RECGTgk
>>55

哲学の本云々以前のレベル
情報の取得の仕方がまるで分かってない
こういう奴は何をどう読んでも時間の無駄

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058 2013/08/27(火) 10:48:56 ID:IQBy6m7z4w
>>56
実によくわかりますが、
かつての教養主義と比較してどうだとは言わないまでも、
仰る通り学生が大衆化して教養に関心が持てなくなったことと、
教養自体が価値を失ったかどうかは別問題と思います。
現実問題、社会的な階級に見るハビトゥスに
教養の程度は否応なく関わってくるわけですし。

>>57
何がどうわかってないのか。
具体性の無い指摘は反論でもなんでもない。

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059 2013/08/28(水) 01:22:24 ID:vgUx7OvCS6
>>58
だろうね、本一冊読むにも指摘したことがわかってないなら
お前が今まで読んだ本全部が無駄ということ

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060 2013/08/28(水) 21:11:31 ID:GG0YO59dvs
>>58
確かに。今は日本も格差社会ですもんね。
とはいえ、日本のアッパークラス(富裕層)にエリート文化と言えるほどのものがありますかね?
まさに大学の大衆化による教養主義の没落によって、エリート文化が衰退・消滅しつつある日本に
階級社会フランスの文化資本の議論がどのくらい当てはまるでしょうか?
とある慶応のセンセイが、三田で『学問のすすめ』を読んだことのある学生を調べたら1割にも満たなかったという話を聞きましたw。

話をもっと具体的にしましょう。
哲学の話があがっていますが、たとえば哲学の話に限定したとき。多くの人に聞いてみたいですが、

・現在、日本のアッパークラスの人間の多くが教養として読んでいると思われる哲学書が存在しますか?
(かつては西田の『善の研究』なんかは必読書でしたね。サルトルや実存主義がブームの時代もありました。当然マルクスも。
これらを読んでいない学生は「無教養」と蔑視されましたね。いま、このような「正統文化=ハイカルチャー」が日本に存在するでしょうか?)
・教養として「この哲学書を読むべき」みたいなものがあるとしたら、誰のどんな著作があげられるでしょう?
・例えば、「古典中の古典であるプラトンぐらい読むべきだ」というとして、「読んでどんなイイコトあるの?」と聞かれたらどう答えましょう?
・それは、アニメオタクが「今期は、このアニメを見るべきだ」と押し付けてくることと何が違うのでしょう?

このスレで、学問したい、教養を身につけたいと考えている方々は、
哲学書に限らず、どんな本を読みたい、読むべきだと、考えているんでしょう?
そして、それは何のためですか?何の役に立つからですか?

①特に「何のために」というものは存在せず、純粋に自分が好きだから学んでいる趣味のようなものですか?
②仕事や(仕事上の)つきあい・社交などに役立つ実学としてですか?
③勝ち組になるための資源(リソース・文化資本)として得だからですか?
④明和で半端な知識をひけらかし偉そうにしたいからですか?w(ニーチェはこういう人物を教養俗物と呼びましたね←ってな具合の知識のひけらかしw)
⑤それとも、昔のように読書を通じて人間形成する(人格を向上させる)ためですか?
・・・
そもそも教養とは何でしょうか?

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061 2013/08/28(水) 22:46:59 ID:8oy7xFrc9k
>>59
それも具体性の無い書き込み。
反論にはならんよ。

>>60
フランスが極端な格差社会とも思いませんが、
仰る通り、日本は唯一成功した社会主義国家と揶揄されるくらいで、
英米のような格差社会でないのは事実です。

とは言え、恒常的な読書習慣などはほとんど学歴と比例するもので、
階層の違いによる教養の差は少なくとも集団傾向として存在すると言わざるを得ないでしょう。
三田の学生の話が出てますが、
松下の創業者神話ではないのですから、学生の全てが福沢諭吉を読んでおく必要は余り感じません。
文学部に限定して、漱石鴎外を読んだことある人という質問にすれば
もっと割合は増えていたことでしょう。
もしかすると最近の学生の凋落は私が考えている以上に激しいのかもしれませんが(笑

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062 2013/08/28(水) 23:06:46 ID:8oy7xFrc9k
哲学を学ぶ意義や、教養を帯びる意味については
私に限定して問われたものでは無いかと思いますので、
あくまで私見と枕した上で書きますが、

日本のアッパークラスの人間が傾向として読んでいるような哲学書はおそらくないでしょう。
戦前まではデカルト、カント、ショーペンハウエルの
いわゆる“デカンショ”が流行ったわけですが、
エリート学生の多くが読んでいた、ということでは無かったそうです。
西田哲学についても同様で、いわゆるポストモダンの潮流の中で持て囃されたブームの一つであった側面も否定できないでしょう。
もちろん、京大の哲学研究科に在籍していて
西田幾太郎をかじったことすらない人は居ないでしょうが…。

そういう意味では多様化する価値観の中での知的会話を可能にする共通の認識として、「教養」があるとするなら、
それは「巨人・大鵬・卵焼き」ではなく、
「野球あるいはベースボール・相撲・スイーツ」と集合されるべきものです。
あるいはもっと広いのかも。

酒飲みとして共通認識を持つのであれば、
酒の銘柄や種類を問わず、量も問わず、行きつけのランクも問わず、
ただ酒を飲めば良いのです。
頑なに日本酒でないといけないと言うこともなければ、
こじゃれたバーやダイニングである必要性もありません。
もっともさらに限定化された狭義の酒飲み、ということであれば
さらに付帯した条件がついてくるのやもしれませんが、
個人的には教養というものにそこまで杓子定規な制約を定めてはおりません。

教養を学ぶ意義については千差万別で悪いことはなかろうと思いますが、
個人的には知的欲求の充足でもあり、思考の錬成でもあり、
社交やビジネス上のツールでもあり、
現在の環境における義務でもあり、
もちろん自己満足でもありますね。

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063 2013/08/29(木) 13:25:31 ID:RvVTyzIA/U
>>61
負け惜しみ乙
数行で完膚なきまで論破されて
「具体性のない反論」とやらのブーメランが後頭部にぶさっさってるよw
意見がまとめられないやつに限って、簡潔にかけず
ダラダラと意味のない長文を書くんだよね

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064 2013/08/29(木) 13:27:38 ID:RvVTyzIA/U
フランスは完全に格差社会だよ、職業間のね

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065 2013/08/29(木) 22:56:15 ID:R/z55TE6do
>>61-62
丁寧なレス、ありがとうございます。
知的会話を可能にする共通の基盤を形成するのが教養の役割の一つなのだとしたら、
慶応の学生にとって福澤先生の著作ほどそれにふさわしいものはないと思いますが、残念な結果のようですw

仰るとおり、年長世代の先輩たちは偉そうにしてても、実際、難しい哲学書をきちんと読んで理解していた人となると意外に少数なのかもしれませんねw
しかし問題は、解説書や耳学問を通してだけでも、「読んだふり」をしたくなるか、知らないと恥ずかしいという気持ちになるかどうか、
というところにあるように思います。
つまり、「この文化・教養は正統なもの、価値の高いものであり、身につけるべきものである」という世間の認識・規範が存在しているかどうか、
がポイントではないでしょうか。

教養を学ぶ意義について考えるとき、自分が持っている問いはまさにこの点です。
一言で言って、教養の価値は、相対的なものか、それとも普遍的なものか。
「ひとそれぞれ多様でいいよね」か、「いやこの社会の構成員として生きる以上、普遍的に身につけるべき価値の高いものがある」と考えるのか否か。

仮に、そういった普遍的な規範が存在すると考えるのならば、
ある場合には、義務教育レベルから、高等教育、さらにはリカレント教育(成人教育)に至るまで、
国家もしくは社会が、押し付けてでも学ばせるべき、身につけさせるべき教養が存在するということになるはずです。
(斉藤孝さんなんかは、まさにこんな主張をしていますね。小学生に『夢十夜』や『マクベス』を読ませろ!みたいな。
アッパークラスの子弟だけでもいいですが。)
そして、その教養を人々が望み、必要性を感じるのなら、実際にそういう教育の需要が増えていてしかるべきだと思います。
しかし、現状、実学つまり「役に立つ」学問全盛の時代で、とてもそうなっているとは思えません。
大学も教養科目なんてやってる時間があるなら、ビジネスマナーの授業でもやって就職率を少しでもあげろ!みたいな時代ですよね。

その意味で、>>62のレスにある「現在の環境における義務」という言葉に(詳しくはわかりませんが)ひかれました。

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066 2013/08/30(金) 15:18:01 ID:pdrHuq.JZA
学問が出来て知識豊富でも空気読めなかったり気を使えない奴はバカにされるだろ?
廻りに気を使えて学がある奴を「教養のある奴」っつうんだと思うぜ。

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067 2013/08/30(金) 17:14:45 ID:Ps.GB.ClfI
>>63
これも具体性の無い書き込み。
少しはzeroさんを見習いなさいや。

>>64
福沢の著作に関しては意見を異にせざるを得ませんが、
ここはさほど拘泥するところでもありませんので、とりあえず置いときます(笑)

教養の意義に関して、その有用性やあるいは学術の本質に関して
浅いアプローチのみで済ましている自称教養人が少なからずいることは同意しますし、
その軽薄さを苦々しく思う気持ちも僭越ながらあります。

余談ですが、新卒で入ってきた哲学科卒の学生が、
見事なまでに哲学史をなぞらえるだけで、さすがに説教に近い指摘をしたこともあるくらいです。

ただ、その上で、専門家や研究者でも無い限りは、
それも知的共有としては成立するわけで、
何ら不足しているわけでもないのです。
少なくとも「何のことか知らない」とは違って出発点になりうる。

仰るような学ばさせるべき教養がこれ!と定まっていれば世の中は大分楽ですが、
個人的には、その取捨選択でさえも教養なのだと思います。
昨今のサブカル系男子女子などは、ファッション的に澁澤や寺山を読んでいますが、
それに付随して何を読むか、何を好むかということを
他者への理解や評価と繋げている部分があります。
それはカウンターカルチャーの分野にすぎないと言えばそうですが、
教養、なおいても同じことが言えるのではないかと思います。

実学偏重、という流れは全く同感で、
私としても、文学部で宗教やら社会学やらやりましたので、
常に腹蔵もっている次第です(笑)

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068 2013/08/30(金) 20:40:47 ID:p10P0n.ZEg
短い文章しか書けない事自体が
結局ブーメランぶっ刺さってる事実は曲げられないけどねw

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069 2013/08/31(土) 13:25:06 ID:lUdEgCkF8k
>>67
他のスレで拝見したのかもしれませんが、(失礼ですが)出版関係のお仕事をされていらっしゃるんでしたっけ?
もし、そうでしたら、他の業種よりも「教養」の香りが未だ残っている世界なのかもしれませんね。
といっても、出版の世界もいわゆる「教養書」は売れなくなって来ているんじゃないでしょうか?
雑誌で言えば、『ユリイカ』や『現代思想』なんて売れてんですかね?それから岩波でいえば『世界』・・・
これらも随分、昔に比べてジャーナリスティック(商業的?)になりましたね。

ところで。社会学者の宮台真司さんが、以前「コミュニケーションの島宇宙化」という指摘をしていました。
>>62で仰られていたように、「巨人・大鵬・卵焼き」の時代は終わり、時代は多様化してきました。
好きなもの、学びたいもの、読みたい本、は人それぞれで、そのそれぞれが小集団を形成し、
各々の小さな島宇宙の間にはつながりがなくなって、互いのコミュニケーションが不可能になってしまった。
澁澤や寺山を好きな人もいれば、やたら韓国の歴史の本ばかり読んでいてそれに精通している人もいるw

それと並行して、知の領域がフラット化し、教養の世界の「規範性・正統性・普遍性」も失われたように思います。
マンガやアイドルが、哲学と等価値でもって同じ土俵で語られたりすることになる。
「ハイカルチャー=正統文化」と「サブカルチャー」の腑分けが無くなるという事態ですね。
(人文社会科学の世界では、まさに宮台さんの『サブカルチャー神話解体』から始まる一連の仕事やら、
その系につらなる東浩紀さんのオタク論などが、このフラット化を促進したように思います。)

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070 2013/08/31(土) 13:36:38 ID:lUdEgCkF8k
ところで、質問ばかりしてしまったので、自分の考えも少しばかり開陳させていただきます。
まず、教養とは何か、という定義の問題ですが、もともとの意味にあるように「自己(人格)の成長」や「社会の創造」と結びついた概念であるべきだと思ってます。

まず、「自己の成長」についてですが、
上の方でも他の方が、教養には、知識や情報はもちろん、「対人関係能力」も含まれると指摘されています。
現在の教育や就活の場面で、コミュ力や人間力が重視されるように、これは「社会に上手く『適応』するための能力・教養」という考え方です。
しかし、自分が考える「自己(人格)の成長」とは、それとは少し違い、「脱俗的」な側面を含んでいます。
それは「人格者」という言葉が、「金儲けが上手い人」、「世渡りが上手い人」など「世俗の価値にそった人」を指していないのと同様です。
すなわち、教養は、現在の社会を『相対化』しうるような「自己の成長」をも目的とする。
自分の生き方の原理原則を確立し、時に間違っていると思えば、「あえて空気を読まない」という形で周囲の風潮に「水をさす」。
そのような自己を形成するためにこそ教養は存在すると考えます。

そして次に、「社会の創造」についてですが、
「お金につながらなければ(知識としての)教養など意味がない」とか、
「仕事や社交に役立たなければ(知識としての)教養など道具として意味がない」といった価値観がもし社会に蔓延しているのだとしたら、
そういった社会の価値観を見直し、自分の生き方を見直すことをこそ目指すのが教養だと思います。
(・・・もちろん、お金や仕事といった実益をないがしろにするのではなく、それも大事にしながら、という話ですね。食っていけなきゃ仕方ないですしw)

ゆえに、この社会の構成員である以上、この社会で自分がどう生きるべきか(成長すべきか)、この社会がどういう社会であるべきか、
を考えるための教養は、押し付けてでも身につけさせる必要があると思っています(少なくとも社会を動かす層にいる人間には)。
自分は、こういった価値観や規範から選択した普遍的な(趣味とは違ってみんなが身につけるべき)正統の文化が存在すると考えます。
例えば、先にあげたプラトンなどは民主主義社会を生きるわれわれにとって、『正統な』教養だと思います。

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071 2013/08/31(土) 14:16:23 ID:qJJzv1HyCk
>>68

短い文章しか書けないことが、具体性の無いことと同じだと言ってる?
それとも具体性の無い彼を批判してる?
指事語や修飾語が少なすぎて意味がわからない。翻訳よろしく!

>>69
仕事は編集なので、出版です。
教養の香りなどとはおこがましいですが、
テレビや新聞などと比較して、非実学的な知識でも受け入れられる土壌はあるかと思います。
出版の動向に関しては、教養書は勿論右肩下がりですが、
ネットにシェアを食われた情報誌や、
活字ばなれの一番の被害者である小説に比べたらましかもしれません。
岩波には固定ファンがいますし。
ただし、ユリイカは今や方向転換して、
サブカル好きの若者のための書籍に方向転換しました。
メインの特集は全てサブカルマンガです。

宮台や東が「知をフラット化した」というのは実にその通りだと思いますね。
現実に私なども思春期に宮台にはまった口です(笑)
同じく宮台が、オタク論の中で、オタクとは特定の志向性でなく、
それをもつ空間のことだと言ってましたが、
これはもっと広い範囲でも使える分析でしょう。

半端で申し訳ないのですが、
これからお台場で取材のため、
後半は後程返信します。

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072 2013/08/31(土) 15:12:19 ID:.NLStyjnIc
「教養」ないアスペ先輩乙w

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073 2013/09/02(月) 23:03:07 ID:gj1lDhXL7c
>>72
これもやはり具体性に欠けた発言。
反論や批判は具体的でないと自分が馬鹿だと言ってるようなものだ。
再三指摘してもただの罵倒を続けるなら
アク禁依頼を出すので、はっきりしとくれ。

>>70
返信が遅くなったことをまずお詫びします。すみません。

教養を学ぶ本質的な意義、あるいは究極的な理想としては完全に同意です。

ただし、二つの点で異論があります。
とは言えこれに絶対的価値を置くのではなく、
現在の自分のスタンスに依居しているために必然的に起こる暫定的な考え方であるのは強調しておきます。

まずひとつは、複雑化した現代社会において、
ひとつの志向性を巡る過程で起こる副作用を軽視できないこと。
例えば宗教などは存在論に解答を与えるものであるべきだし、
スピリチュアルに言えば魂の救済など物質を超越しない限り
その成立を許されないはずですが、
今日の宗教組織は慈善事業などでむしろ功績をあげているわけで、
例えば依存症患者の治療などは
通院するよりも効果が高いと
医学的に証明されているくらいです。
その効果を世にへつらった軽薄なものとするのではなく、
副作用として一定の評価をしても良いのではないかということです。
遠回しな言い方をしていますが、教養においても同様に当てはめられ、
本質を見失うことを良しとまではしないまでも、
その副次的効果を評価すべきではないでしょうか?
現実問題、皆がディオゲネスのような生活ができるわけではなく、
誰しもが芥川的な生きざまを遂行できるはずもありませんから。

もう一つはやや観念上の問題で、時代性を越えた全てに普遍的な教養など、私は無いと考えます。
私は客観的にみてウパニシャッド的享楽者ですので、
そこのところを汲んでいただければと思います。

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