>>67 他のスレで拝見したのかもしれませんが、(失礼ですが)出版関係のお仕事をされていらっしゃるんでしたっけ?
もし、そうでしたら、他の業種よりも「教養」の香りが未だ残っている世界なのかもしれませんね。
といっても、出版の世界もいわゆる「教養書」は売れなくなって来ているんじゃないでしょうか?
雑誌で言えば、『ユリイカ』や『現代思想』なんて売れてんですかね?それから岩波でいえば『世界』・・・
これらも随分、昔に比べてジャーナリスティック(商業的?)になりましたね。
ところで。社会学者の宮台真司さんが、以前「コミュニケーションの島宇宙化」という指摘をしていました。
>>62で仰られていたように、「巨人・大鵬・卵焼き」の時代は終わり、時代は多様化してきました。
好きなもの、学びたいもの、読みたい本、は人それぞれで、そのそれぞれが小集団を形成し、
各々の小さな島宇宙の間にはつながりがなくなって、互いのコミュニケーションが不可能になってしまった。
澁澤や寺山を好きな人もいれば、やたら韓国の歴史の本ばかり読んでいてそれに精通している人もいるw
それと並行して、知の領域がフラット化し、教養の世界の「規範性・正統性・普遍性」も失われたように思います。
マンガやアイドルが、哲学と等価値でもって同じ土俵で語られたりすることになる。
「ハイカルチャー=正統文化」と「サブカルチャー」の腑分けが無くなるという事態ですね。
(人文社会科学の世界では、まさに宮台さんの『サブカルチャー神話解体』から始まる一連の仕事やら、
その系につらなる東浩紀さんのオタク論などが、このフラット化を促進したように思います。)
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