学問の仕方・教養の身につけ方


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085 2013/09/04(水) 17:35:07 ID:v6eVuqdA4A
>>83
なるほどです。宗教とは、そういうものですか。まさに一つ教養が高まりましたwありがとうございます。
・・・そういえば、教養は「増える」というより「高まる」ものですね。教養が「多い」人というより「高い」人といいますね。

あらためまして教養の話ですが、自分の>>80の指摘は、わかりやすく言ってしまえば、
「本を読んで成長し、成長した自分と知識が本物かどうか他人や社会のなかでこそ試されるということ。
それは(身につけた知識の正しさを吟味したり、社交の資源としたりといった)自分のため“だけ”ではなく、
他人や社会の役に立つようなかかわりの中でも行われるということ(慈善活動も含めまして)。
そして、そういったかかわりの中でこそ本の大切さを再確認し、さらに学び自分を成長させようとすること。」
というような、互いが互いの基礎となりかつ動因となるような循環構造(ループ)について述べたものです。

「バランス」に関してですが、
世俗の価値に適応することと相対化することの両面を教養は含んでいると思っています。
そして、この両方を大なり小なり全ての人がやっていると思っています。
近年、適応主義が強く相対化の側面が忘れられる傾向が強いため(本スレの他の方の教養の定義もそういう傾向が強いと思います)、
>>70では、特に後者を強調して取り上げたことは確かです。
本来、過剰に適応してばかりでも、相対化してばかりでも、バランスをとらなければ生きるのがつらくなると思います。

具体的な>>81の例でいいますと、原発反対論者や(ブラック企業に対する)内部告発者もそうですが、
普通に適応して働きながらも、例えば自社の男女の労働環境に対する差別などに対しては異議申し立てする人。
そのような、自分の村=島宇宙の価値観に疑問を提示する人間がもっといていいし、
我々は、もう少しそういう見方をしてもいいし、そういう人がもっと居場所のある社会になっていいのではないか。
“バランスの問題として”そう思います。そして、その判断・行動のベースとなるものこそが「教養」だと思います。
特に日本は島宇宙の「空気を読む」適応同調圧力が強く、そこに異議を唱えることを過度におそれる(苦手な)傾向があるように思います。(いじめなども)

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