学問の仕方・教養の身につけ方


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080 2013/09/03(火) 17:43:30 ID:OJ2Ig30hZE
>>71>>73
レスありがとうございます。SAROさんのご指摘により、自分の考えが触発・整理されていくようで楽しいです。
宮台さんは、自分の議論の仕方をマネする人たちを揶揄して『プチ宮台』などと呼んでいましたが、自分もまさにソレでしたw

異論としていただいた一点目。まず自分がきちんと理解できたか心許ないですが、
キリスト教風にいえば『伝道』の問題ということになるでしょうか?

自分の問いは、もし教養に「本質的効果」と「副次的効果」があるとすると、この二つはどういう関係にあるのか?ということです。
それを宗教の問題で言えば、「真理(本質・神性・霊性・超越・存在)の問題」と「伝道(世俗・社会・慈善事業?)の問題」の関係ということになるでしょうか。
自分の考えは、「人は宗教的真理・本質を確信したと感じたからこそ、
それを他者へと伝道し救済しようとする(そしてそれが神から与えられた使命であると感じる)のだし、
そうやって、他者と関わる過程でこそ宗教的真理の確信がさらに深まるのではないか?」
つまり、この二つは互いが互いの基底となり支えあっているのではないか、というものです。

「人は正しいと信じるからそれを他人に伝え救おうとするのだし、その働きかけによって他人が救われるのを見て自分の正しさをさらに確信する」

教養も同様で、自分の信じる正しさが本物かどうか、まさに他者(社会)との関係の中でこそ試される。
それは世俗の価値にそっているという意味で「自分の役に立つ」という意味だけではなく、
世俗の価値を相対化し、間違っているものを間違っていると指摘するというやり方で、「他人や社会(世俗)の役に立つ」ということ。
ここはバランスが肝心ですね。あまり脱俗的になっても、それこそ変人扱いされるだけで世俗から爪弾きにされてしまう。
ソクラテスが若者を堕落に導いたとされて死刑にされたように。

しかしながら、慈善事業や依存症のセルフヘルプグループ、ホスピスなどヒューマンケアの分野で、宗教的なものが人を癒す効力を発揮しているのは、
そこに世俗の価値(出世、競争、金儲け、モテと非モテw・・・)とは異なる「(霊的な?)ものさし」で人を見る側面があるからこそじゃないでしょうか?

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