学問の仕方・教養の身につけ方


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081 2013/09/03(火) 17:52:13 ID:OJ2Ig30hZE
いい喩えかわかりませんが、原発反対論者が居場所がある社会、それがイイ社会だと思います。(自分は必ずしも原発に反対ではないですが)
「原発によるエネルギーの増加=経済成長=幸福」みたいな価値観の等式を疑うことは、原発事故の前には許されなかったですね。
そういう研究者には居場所がありませんでした。世俗の価値におもねって論文(報告書)を書いた御用学者にだけ居場所が用意されました。
「自分の好きな研究さえできればいい」という考え方で「原子力村という島宇宙」で生きていると、見えないものがあるはずです。
原発に反対するためには、島宇宙から脱出し広く社会全体を俯瞰して相対化する視野を持つような『教養』が必要なはずです。
これは研究者だけでなく、一般の会社員が自社の労働環境に異議申し立てをしたり、(例えば食品偽装などで)内部告発するようなケースでも同じだと思います。
自ら所属する狭い「村=島宇宙」から脱して、より広い文脈の「正しさ=正統性」から自分の立っている場所を見直すこと。

現代人は「自分の考える正統性を他人に強く主張し介入することをおそれている」と思います。
「自分は自分、他人は他人、互いに介入せず尊重しあいましょう」・・・この一見理想的な多文化主義?が、
価値相対主義につながり、他者や社会への無関心(「みんな勝手にすればいい」「社会は自分と関係なくまわっている」)を生み出しているように思います。

続けて異論の二点目。仰るとおり時代貫通的な普遍性など存在しないと思います。
しかし、少なくとも今われわれが生きているこの時代・社会の中での普遍的な(誰にとっても価値のある)正しさを求めて、
互いが議論しあうようなことがもっとあっていい、そう思います。

こういう物言いは、スレ画の西部氏や、アメリカで教養の没落に抵抗した政治哲学者のアランブルームなど、
いわゆる「保守派」の考え方にも近いと思います。(自分はこれらの方々とは少し立場を異にしますが・・・)
よって、問題はナショナリズムやエスノセントリズム(自民族中心主義)に関する事柄に否応なく関わってくると思います。
「日本人なら新渡戸の『武士道』ぐらい教養として読んでおくべきだ!」みたいな・・・

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