学問の仕方・教養の身につけ方


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083 2013/09/04(水) 10:50:29 ID:N.YTerfOOM
>>80
返信遅れてすみません。

宗教の例えですが、宗教の本質は前述のように存在論であって、
救済(特に他者へのそれ)ではありません。
仏教でもその根元は自己による解脱が究極の目的なわけで、
阿弥陀如来のような他者救済の概念は初期仏教にはなかったくらいですから。
つまり、宗教としては慈善事業など副次的な行為は必要としないのです。
飽くまで宗教組織として現代生きる為の役割期待というだけで。
ですので、それらが複合して…という前提は本質的な宗教意味からいうと違います。
けれど、社会学的に違うかと言われたら、違いません。
そのあたりの方便が教養の用いられ方にも流用できるのだと思います。

バランス、を重視するとなると、それこそ本質的でない教養の理解が求められます。
芥川も言っているように、本質を理解しつつ、それを斜めにみて実践することの“無い”態度が
世に憚る技術であるのでしょう。
これが本来の価値としてどうかはさておき、
否定できない価値の一側面であることは疑い無いと思います。

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