アメリカやイギリスといった金融立国は、食い物が大して美味くない。
自分たちでも「食い物の味などに大してこだわらない」と開き直り、
より高尚な価値基準であるとする金融の豊満にひた走り続けている。
大金を稼げば、当然食べ物にも金をかけられるようになる。
でも、金持ちが高級レストランや料亭で金をかけるのは、それが一種の
ステータスになるからそうするまでで、別にそこでしか食えない超美味の
絶品料理があるから大金をつぎ込むなどという、心がけによるわけでもない。
むしろ、低所得で楽しむものが食べ物しかないようなところでこそ、
徹底的に食い物の味にこだわろうとするような風潮も生まれる。
それはそれで名物ラーメンのように、一種のどぎつさに結び付くことも
あるわけだが、確かに金の余裕なんかがあまりないところでこそ切実な
食文化が発達し、金満ですら叶えられないような恍惚に与れることもある。
人間の味覚は、舌に備わる味蕾の多さやその多様性によって決まり、より
美味な食い物の追求によってこそ、味蕾もまたその豊かさを増していくわけだが、
金満の楽しみなどに没頭しようとするものほど、味蕾の養生も疎かにして、
衰弱した味覚での稚拙な美味不味(好悪)の判断しかできなくなるようだ。
金満の楽しみが行き過ぎて、かえって人としての本来の楽しみである
美食の楽しみが疎かにされていってしまう問題を、もっと重大視すべきだ。
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