>>10 金を稼ぐ能力に長けている人間ってのは、凡そ能力が偏っている。
他者に危害を加えてでも自分が裕福になろうとする、
我田引水の能力だけが突出したときに、人は大金を稼ぐ能力を得る。
それはたとえば、世のため人のためになる善行をこなす能力などとは
根本的に相容れない能力であるため、金を稼ぐことに長けすぎた人間ってのは、
世の中の福利厚生を増進する能力などが著しく欠けることになってしまう。
弥生時代から古墳時代にかけて、大陸から流入してきた渡来人のうちで、
他者を牛馬の様にこき使う事業によってでも大金を稼ごうとする人種が
豪族として日本でも跋扈したが、その多くが大化の改新を始めとした
政治改革によって中央権力から追放され、挙句には被差別部落として、
平民以上にも見下される賤民扱いを受けるようになっていった。
他者に危害を加えてでも自分たちが裕福になろうとする、
金稼ぎによってこそ理想化される我田引水の能力に長けた人間ってのは、
その能力がかえって有害なものと見なされて、常人以下の扱いを受けることもある。
そのような能力の高さによってこそ尊敬されることがあるとすれば、
そういった時代からして異常な時代であり、異常な時代であるが故に
価値観もまた異常なものと化してしまっているのだといえる。
大昔から、大金を稼ぎまわっている素封家というのはいないでもなかったが、
そんな人間が偉いはずもなく、ただ酔狂の徒として笑われるまでだった。
無闇に金を稼いだりするのは、飲んだくれるのとも大して変わらないことだから。
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