郷原(田舎者の偽善者)
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きょう‐げん〔キヤウ‐〕【郷原/郷愿】
道徳家を装って、郷里の評判を得ようとする俗物。
(「大辞泉」より)
「郷原は徳の賊なり」
「田舎者の偽善者は、かえって徳行の邪魔をする」
(「論語」陽貨第十七・一三より)
ド田舎の土佐で、半士半商の郷士の家に生まれ育ち、
幕末の動乱期に最大級のフィクサーとして暗躍した坂本龍馬。
薩長同盟によって、薩摩が長州の捏造した偽勅で東進することを援助し、
大阪堺の三井住友といった豪商から資金を借りた薩軍が、武器商人のグラバーから
重火器を購入することをも斡旋し、以って倒幕を決定付ける最重要人物となったが、
その所業は江戸時代までの日本の常識からいえば、とうてい許されるものではなく、
実際に龍馬は中岡慎太郎と共に、京都の近江屋で惨殺されている。龍馬の所業は、
紛れもなく「郷原(田舎者の偽善者)」としての自己の性格に根ざしたものであり、
天下国家の公益などにまではとうてい視野が及ばないその世間知らずさは、今の
日本の政財界や警察といった権力機構にも、体質として受け継がれたままでいる。
今の日本の権力機構における、最たる病理ともなっている「郷原」の蔓延。
日本の権力腐敗を仮に浄化するというのであれば、郷原の蔓延こそを
駆逐していくことが最重要課題になることも間違いがない。そのための
知識なり、手法なり、心構えなりについて、一通り論じておこうと思う。
道徳家を装って、郷里の評判を得ようとする俗物。
(「大辞泉」より)
「郷原は徳の賊なり」
「田舎者の偽善者は、かえって徳行の邪魔をする」
(「論語」陽貨第十七・一三より)
ド田舎の土佐で、半士半商の郷士の家に生まれ育ち、
幕末の動乱期に最大級のフィクサーとして暗躍した坂本龍馬。
薩長同盟によって、薩摩が長州の捏造した偽勅で東進することを援助し、
大阪堺の三井住友といった豪商から資金を借りた薩軍が、武器商人のグラバーから
重火器を購入することをも斡旋し、以って倒幕を決定付ける最重要人物となったが、
その所業は江戸時代までの日本の常識からいえば、とうてい許されるものではなく、
実際に龍馬は中岡慎太郎と共に、京都の近江屋で惨殺されている。龍馬の所業は、
紛れもなく「郷原(田舎者の偽善者)」としての自己の性格に根ざしたものであり、
天下国家の公益などにまではとうてい視野が及ばないその世間知らずさは、今の
日本の政財界や警察といった権力機構にも、体質として受け継がれたままでいる。
今の日本の権力機構における、最たる病理ともなっている「郷原」の蔓延。
日本の権力腐敗を仮に浄化するというのであれば、郷原の蔓延こそを
駆逐していくことが最重要課題になることも間違いがない。そのための
知識なり、手法なり、心構えなりについて、一通り論じておこうと思う。
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すでに幕末の動乱から140年以上の月日が経ち、江戸生まれの人間も全て死に絶えたいま、
「始めから仁徳など少しも知らない」郷原の常識こそは、日本全国全国民にとっての常識ともなってしまった。
明治から昭和初期の戦前にかけてまでは、あからさまな薩長土肥の放伐行為に非を唱えて、賊将として戦死した
西郷隆盛などが、「比較的マシな郷原」として英雄扱いをされたりもしていたが、敗戦後、米英による本格侵略が
始まって後は、ロスチャイルド系列の武器商人であるグラバーに尻尾を振って、倒幕を決定付ける威力をも呼び込んだ
「近世日本史上最悪の郷原」たる坂本龍馬などが英雄視されるようになり、陸奥宗光の「龍馬さんのほうが西郷
などよりも遥かに大きな人物に見えた」などという証言にも即して、龍馬こそは西郷以上の英雄であったかの
ような触れ回りまでもが一部で為されるまでに至っている。(戦前までは、さすがに土佐藩士の所業は
あまりにも非道でありすぎると認識されていたため、英雄視されたりすることもほとんどなかった)
龍馬を絶賛する戦後の有名人などの言い分として、「江戸時代までの旧態依然とした日本社会に新しい風を
呼び込んだ」というのがあるが、これもまた全くの無知か、もしくはひどいすっとぼけに基づいた発言だといえる。
(武田鉄也あたりは無知に基づき、司馬遼太郎あたりは知った上でのすっとぼけに基づいていると思われる)
「始めから仁徳など少しも知らない」郷原の常識こそは、日本全国全国民にとっての常識ともなってしまった。
明治から昭和初期の戦前にかけてまでは、あからさまな薩長土肥の放伐行為に非を唱えて、賊将として戦死した
西郷隆盛などが、「比較的マシな郷原」として英雄扱いをされたりもしていたが、敗戦後、米英による本格侵略が
始まって後は、ロスチャイルド系列の武器商人であるグラバーに尻尾を振って、倒幕を決定付ける威力をも呼び込んだ
「近世日本史上最悪の郷原」たる坂本龍馬などが英雄視されるようになり、陸奥宗光の「龍馬さんのほうが西郷
などよりも遥かに大きな人物に見えた」などという証言にも即して、龍馬こそは西郷以上の英雄であったかの
ような触れ回りまでもが一部で為されるまでに至っている。(戦前までは、さすがに土佐藩士の所業は
あまりにも非道でありすぎると認識されていたため、英雄視されたりすることもほとんどなかった)
龍馬を絶賛する戦後の有名人などの言い分として、「江戸時代までの旧態依然とした日本社会に新しい風を
呼び込んだ」というのがあるが、これもまた全くの無知か、もしくはひどいすっとぼけに基づいた発言だといえる。
(武田鉄也あたりは無知に基づき、司馬遼太郎あたりは知った上でのすっとぼけに基づいていると思われる)
「孔子曰く、我が門を過ぎ、我が室に入らざるも、我れ憾まざるは、其れ惟だ卿原か。郷原は徳の賊なりと」
「孔子はこう言ったという。『たとえうちの門前を通り過ぎる時に立ち寄ってくれなくても、少しも残念に
思わなくて済むのは、 田舎者の偽善者あたりかな。田舎の偽善者こそは、徳をそこなう最たるものだから』」
(「孟子」尽心章句下・三七より)
坂本龍馬のような、田舎者としての世間知らずさをバネにして非道をはたらく暴徒は、遥か昔、孔子や孟子が
存命中だった頃から「郷原」としてその存在性が察知されていたのであり、孔子に至っては、「徳の賊」としての
郷原の度し難さに対して、上記のようなあからさまな嫌悪感すら隠さないでいる。郷原やその支持者が「すでに古い」と
決め付ける仁義道徳、その仁義道徳の最初期の研究者たる孔子こそは、郷原の有害無益さまでをも看破していたのであり、
むしろ郷原こそは、仁徳者の知恵に根ざして、後々から糾弾や活動の取り締まりの対象となることのほうが筋だといえる。
郷原が、田舎者としての劣等感をもバネにして世界的な覇権掌握に乗り出すことすらもがあることもまた、
古代の秦人の所業などからも知られていたことで、ただ覇権ばかりに固執して徳治を疎かにするその度し難さが
長期政権を得させるにも値しないものだから、覇権よりも徳治を優先する王道主義のほうが選択的に尊ばれていたわけで、
郷原こそは広範囲にわたる侵攻を実現させたこともまた、決して仁徳者の意表を突けたりしているわけではない。
「孔子はこう言ったという。『たとえうちの門前を通り過ぎる時に立ち寄ってくれなくても、少しも残念に
思わなくて済むのは、 田舎者の偽善者あたりかな。田舎の偽善者こそは、徳をそこなう最たるものだから』」
(「孟子」尽心章句下・三七より)
坂本龍馬のような、田舎者としての世間知らずさをバネにして非道をはたらく暴徒は、遥か昔、孔子や孟子が
存命中だった頃から「郷原」としてその存在性が察知されていたのであり、孔子に至っては、「徳の賊」としての
郷原の度し難さに対して、上記のようなあからさまな嫌悪感すら隠さないでいる。郷原やその支持者が「すでに古い」と
決め付ける仁義道徳、その仁義道徳の最初期の研究者たる孔子こそは、郷原の有害無益さまでをも看破していたのであり、
むしろ郷原こそは、仁徳者の知恵に根ざして、後々から糾弾や活動の取り締まりの対象となることのほうが筋だといえる。
郷原が、田舎者としての劣等感をもバネにして世界的な覇権掌握に乗り出すことすらもがあることもまた、
古代の秦人の所業などからも知られていたことで、ただ覇権ばかりに固執して徳治を疎かにするその度し難さが
長期政権を得させるにも値しないものだから、覇権よりも徳治を優先する王道主義のほうが選択的に尊ばれていたわけで、
郷原こそは広範囲にわたる侵攻を実現させたこともまた、決して仁徳者の意表を突けたりしているわけではない。
薬は毎日必ず飲めよ。
郷原には「調和」がない。
何もすることがない田舎育ちの習性として、
「とりあえず口ごたえなどして争っておく」、争乱を面白がる習性がある。
それは、本格的な武器もなければ市場もない、田舎であればさして害にもならないが、
争いごとが大規模な戦争や資本寡占などにもつながる都市社会では、大きな害を招く原因ともなる。
暇つぶしで争いごとを好む郷原としての習性が、土佐人の場合は資本家としての
富の貪りにつながり、薩摩人の場合は軍人や警官などとしての好戦志向につながった。
未だ欧米の資本主義者のような、「競争不参加者を迫害する競争主義者」が存在する手前、
郷原としての競争志向が「必要悪」として国のために役立っている所もあるが、
さりとて、田舎だからこそ許されていた「暇つぶしの競争志向」が、人口が億を超える国家社会に
適用されたことからなる国民や諸外国民の疲弊もまた半端ではなく、いざ欧米が音を上げて
競争の中止を請うて来たとするならば、国家レベルでの体質改善のための粛正もまた、避けられるものではない。
何もすることがない田舎育ちの習性として、
「とりあえず口ごたえなどして争っておく」、争乱を面白がる習性がある。
それは、本格的な武器もなければ市場もない、田舎であればさして害にもならないが、
争いごとが大規模な戦争や資本寡占などにもつながる都市社会では、大きな害を招く原因ともなる。
暇つぶしで争いごとを好む郷原としての習性が、土佐人の場合は資本家としての
富の貪りにつながり、薩摩人の場合は軍人や警官などとしての好戦志向につながった。
未だ欧米の資本主義者のような、「競争不参加者を迫害する競争主義者」が存在する手前、
郷原としての競争志向が「必要悪」として国のために役立っている所もあるが、
さりとて、田舎だからこそ許されていた「暇つぶしの競争志向」が、人口が億を超える国家社会に
適用されたことからなる国民や諸外国民の疲弊もまた半端ではなく、いざ欧米が音を上げて
競争の中止を請うて来たとするならば、国家レベルでの体質改善のための粛正もまた、避けられるものではない。
郷原は別に宗教家ではない。特定の信教を拠り所にしていたりするわけでもない
のにも関わらず、欧米のキリスト教徒やユダヤ教徒との資本主義競争にも没等し、
日本や中国の庶民階級の、豊富な労働力の嵩にかかっての経済的圧倒にすら及びもした。
(自分たち自身はあくまでこき使う側であり、生産的な労働などには従事していない)
聖書信仰の源流を成した古代ユダヤ人も「中東の郷原」だったと言えなくもないわけで、
世間知らずなままに、大規模な都市社会を悪知恵で甚大な争乱に巻き込む習性は、
洋の東西や古今を問わず、郷原の度し難さこそを源流としていることまでもが分かる。
さすがに、500年以上もの世界侵略のキャリアがあることからも、世界レベルでの
侵略支配では、日本の郷原などよりも聖書教徒のほうが未だ優勢状態にあるといえる。
しかし、世界でも最大級に優勢であり続けているからこそ、聖書信者こそは富の不均衡
が極大化している、いまの地球社会の責任を真っ先に負わなければならないといえる。
一人当たりが占有している地球上の資産が、一人前の平均値を大きく上回っている国の
ほとんどは欧米聖書圏であり、辛うじて日本や、中東の金持ち組合国などが食い込んで
いる状態にある。当然まずは、欧米聖書圏が現状の転換を承諾しなければならないが、
その後、金持ちばかりで占められていたからこそ富裕度が突出していたUAEなどの中東諸国は、
合議的な解体を行うことが奨励される。日本はといえば、他でもない郷原性分の人種を
権力の座から引き摺り下ろすことで、資本主義国としての看板を下ろすことが要求される。
そこから、公的に全地球社会総出を挙げての、富の再分配が始められていくことになる
わけで、再分配に際しての決まりの悪さなどを払拭していくためにも、聖書圏においては
聖書信仰の完全な根絶、中東諸国においては金持ち組合国の解体、そして日本においては
徹底的な郷原の跳梁跋扈の取締りといった責務を果たしていく必要がある。
のにも関わらず、欧米のキリスト教徒やユダヤ教徒との資本主義競争にも没等し、
日本や中国の庶民階級の、豊富な労働力の嵩にかかっての経済的圧倒にすら及びもした。
(自分たち自身はあくまでこき使う側であり、生産的な労働などには従事していない)
聖書信仰の源流を成した古代ユダヤ人も「中東の郷原」だったと言えなくもないわけで、
世間知らずなままに、大規模な都市社会を悪知恵で甚大な争乱に巻き込む習性は、
洋の東西や古今を問わず、郷原の度し難さこそを源流としていることまでもが分かる。
さすがに、500年以上もの世界侵略のキャリアがあることからも、世界レベルでの
侵略支配では、日本の郷原などよりも聖書教徒のほうが未だ優勢状態にあるといえる。
しかし、世界でも最大級に優勢であり続けているからこそ、聖書信者こそは富の不均衡
が極大化している、いまの地球社会の責任を真っ先に負わなければならないといえる。
一人当たりが占有している地球上の資産が、一人前の平均値を大きく上回っている国の
ほとんどは欧米聖書圏であり、辛うじて日本や、中東の金持ち組合国などが食い込んで
いる状態にある。当然まずは、欧米聖書圏が現状の転換を承諾しなければならないが、
その後、金持ちばかりで占められていたからこそ富裕度が突出していたUAEなどの中東諸国は、
合議的な解体を行うことが奨励される。日本はといえば、他でもない郷原性分の人種を
権力の座から引き摺り下ろすことで、資本主義国としての看板を下ろすことが要求される。
そこから、公的に全地球社会総出を挙げての、富の再分配が始められていくことになる
わけで、再分配に際しての決まりの悪さなどを払拭していくためにも、聖書圏においては
聖書信仰の完全な根絶、中東諸国においては金持ち組合国の解体、そして日本においては
徹底的な郷原の跳梁跋扈の取締りといった責務を果たしていく必要がある。
「郷原体質の持ち主」という、抽象的な人物像を問題視しているのだから、
あたかも特定の現役の人物に対する誹謗であるかのように扱われる筋合いもない。
あまりにも身に覚えかあり過ぎて、まるで自分が非難されているかのように感じて
しまったとしても、別に俺がおまえを特定して郷原として扱った覚えなどもない。
坂本龍馬に直系の子孫はいないし、岩崎弥太郎の子孫もすでに三菱の経営は退いている。
そして仮に、歴史に名高い郷原の子孫が現役であったとしたところで、その子孫が
今の世の中でも、人並み以上に度し難い郷原体質の持ち主であるとも限らない。
いま郷原体質の持ち主に占有されていることが濃厚な、官公庁なり企業なりの組織も、
中には体質改善に取り組もうとしている人間もいるかもしれないし、郷原体質の親
からの世襲で、自然とそこに居座ってしまっているだけだったりもするかもしれない。
今の世の中、地理的に田舎者だからといって必ずしも郷原体質とも限らなければ、
都会人だからといって郷原体質ではないとも限らないのも、>>6に書いたとおり。
田舎者でも郷原ではなく、器量の大きい司令官などとして大成する余地があることも
>>9に書いた通りなわけだから、特定の「不可避に郷原とならざるを得なかった者」
などに対する非難の意図などは少しもないことが分かる。郷原は、どこまでも
自己責任でしかなく、進んでヤクザやマフィアになろうとする者を取り締まるよう
にして、郷原体質の持ち主の跋扈もまた抑制されていかなければならないものだ。
あたかも特定の現役の人物に対する誹謗であるかのように扱われる筋合いもない。
あまりにも身に覚えかあり過ぎて、まるで自分が非難されているかのように感じて
しまったとしても、別に俺がおまえを特定して郷原として扱った覚えなどもない。
坂本龍馬に直系の子孫はいないし、岩崎弥太郎の子孫もすでに三菱の経営は退いている。
そして仮に、歴史に名高い郷原の子孫が現役であったとしたところで、その子孫が
今の世の中でも、人並み以上に度し難い郷原体質の持ち主であるとも限らない。
いま郷原体質の持ち主に占有されていることが濃厚な、官公庁なり企業なりの組織も、
中には体質改善に取り組もうとしている人間もいるかもしれないし、郷原体質の親
からの世襲で、自然とそこに居座ってしまっているだけだったりもするかもしれない。
今の世の中、地理的に田舎者だからといって必ずしも郷原体質とも限らなければ、
都会人だからといって郷原体質ではないとも限らないのも、>>6に書いたとおり。
田舎者でも郷原ではなく、器量の大きい司令官などとして大成する余地があることも
>>9に書いた通りなわけだから、特定の「不可避に郷原とならざるを得なかった者」
などに対する非難の意図などは少しもないことが分かる。郷原は、どこまでも
自己責任でしかなく、進んでヤクザやマフィアになろうとする者を取り締まるよう
にして、郷原体質の持ち主の跋扈もまた抑制されていかなければならないものだ。
>>6でもすでに取り上げた、「道徳なんか権力者が捏造した虚構でしかない」
という郷原の言い分、これは、郷原たち自身こそが善悪の区別、徳や罪
といったものを自分たちで勝手に定義するならず者であることに根ざした、
「自分のことをまるで他人のことのようにあげつらう虚言」の一種なのである。
「史記」李斯列伝に、宦官の趙高が二世皇帝となる前の胡亥に対し、
「衛国の君主に父を殺して即位した者がいます。孔子はこの行いを歴史書
『春秋』に記録しましたが、別段『不孝である』などとも評しませんでした」
と言い、兄を謀殺しての秦帝国皇帝への即位を促したという記録がある。
このような事実は、一切ない。孔子が衛国の主君の父殺しを「春秋」に記録しただとか、
記録にしたにもかかわらず「不孝である」などとは指摘しなかったとかいう以前に、
そもそも衛国の主君が父を殺して即位したなどという史実自体が、存在しない。
これは、始皇帝の子供のうちでは暗愚なほうだった胡亥を秦の皇帝に仕立て上げて、
自らの傀儡にして甘い汁を吸おうとした、宦官趙高自身の虚言であり、法規のみならず、
道徳規範すらをも自分たちで勝手に捏造しようとした郷原の振る舞いの実例となっている。
上記の宦官趙高のように、郷原は自分たちこそが、道徳規範すらをも捏造しようとする。
夏殷周の伝統に根ざした本物の仁義道徳はといえば、天地万物を司る普遍道理を把捉した
易の法則などにも根ざして、着実に構築されて来たものであり、決して自己流の捏造
などによって拵えられたものではないわけだが、郷原のほうはといえば、こちらこそが
上記の趙高のように、適当に道徳をも捏造し、私利私欲のためには、時に父兄殺しや
主君殺しすら「道徳的に認められるもの」にしてしまう。そこにこそ確かに、
信用のおけない虚構の道徳が存在するのであり、適当に我流で捏造した道徳規範
などを振りかざすのも、どこまでも井の中の蛙たる郷原たちだけでしかないのである。
という郷原の言い分、これは、郷原たち自身こそが善悪の区別、徳や罪
といったものを自分たちで勝手に定義するならず者であることに根ざした、
「自分のことをまるで他人のことのようにあげつらう虚言」の一種なのである。
「史記」李斯列伝に、宦官の趙高が二世皇帝となる前の胡亥に対し、
「衛国の君主に父を殺して即位した者がいます。孔子はこの行いを歴史書
『春秋』に記録しましたが、別段『不孝である』などとも評しませんでした」
と言い、兄を謀殺しての秦帝国皇帝への即位を促したという記録がある。
このような事実は、一切ない。孔子が衛国の主君の父殺しを「春秋」に記録しただとか、
記録にしたにもかかわらず「不孝である」などとは指摘しなかったとかいう以前に、
そもそも衛国の主君が父を殺して即位したなどという史実自体が、存在しない。
これは、始皇帝の子供のうちでは暗愚なほうだった胡亥を秦の皇帝に仕立て上げて、
自らの傀儡にして甘い汁を吸おうとした、宦官趙高自身の虚言であり、法規のみならず、
道徳規範すらをも自分たちで勝手に捏造しようとした郷原の振る舞いの実例となっている。
上記の宦官趙高のように、郷原は自分たちこそが、道徳規範すらをも捏造しようとする。
夏殷周の伝統に根ざした本物の仁義道徳はといえば、天地万物を司る普遍道理を把捉した
易の法則などにも根ざして、着実に構築されて来たものであり、決して自己流の捏造
などによって拵えられたものではないわけだが、郷原のほうはといえば、こちらこそが
上記の趙高のように、適当に道徳をも捏造し、私利私欲のためには、時に父兄殺しや
主君殺しすら「道徳的に認められるもの」にしてしまう。そこにこそ確かに、
信用のおけない虚構の道徳が存在するのであり、適当に我流で捏造した道徳規範
などを振りかざすのも、どこまでも井の中の蛙たる郷原たちだけでしかないのである。
「郷党では歯に如くは莫し」
「郷里程度の小さな仲間内では、年齢の長幼以上に普遍的な拠り所となる基準はない」
(「孟子」公孫丑章句下・二より)
郷里程度の仲間内であればこそ、親や年長者を敬うことが第一とされるものなのに、郷原は
その小さな仲間内においてこそ、色々な手管を尽くしての人気取りなどを試みる。それがすでに
世の中の基本原理をわきまえていない有り様だから、世の中にとっても百害あって一利もない。
郷里では唖かと見紛うほどにも悌順な振る舞いを尽くし、大国の政治舞台などにおいてこそ、
有能な仕事人としての本領を発揮する、それでこそ両者において立派だといえるわけだが、
今の政治家などは、まるで郷里での人気取りをそのまま政界などに持ち込んだような、
あべこべに稚拙な振る舞いばかりを披露している。まるで親兄弟を出し抜こうとするか
のような態度で、大衆を相手にした政治にまで及ぼうとするから、浮ついても見えるのである。
「郷里程度の小さな仲間内では、年齢の長幼以上に普遍的な拠り所となる基準はない」
(「孟子」公孫丑章句下・二より)
郷里程度の仲間内であればこそ、親や年長者を敬うことが第一とされるものなのに、郷原は
その小さな仲間内においてこそ、色々な手管を尽くしての人気取りなどを試みる。それがすでに
世の中の基本原理をわきまえていない有り様だから、世の中にとっても百害あって一利もない。
郷里では唖かと見紛うほどにも悌順な振る舞いを尽くし、大国の政治舞台などにおいてこそ、
有能な仕事人としての本領を発揮する、それでこそ両者において立派だといえるわけだが、
今の政治家などは、まるで郷里での人気取りをそのまま政界などに持ち込んだような、
あべこべに稚拙な振る舞いばかりを披露している。まるで親兄弟を出し抜こうとするか
のような態度で、大衆を相手にした政治にまで及ぼうとするから、浮ついても見えるのである。
「漢書」帝紀・昭帝紀・元鳳元年の三月、孝昭皇帝が諸国から選抜していた
五人の礼儀作法に長ける義士に土産(錦)を与えて、故郷に帰らせる記録がある。
そこで昭帝は、「官職よりも孝悌の道に励むことで、郷里の模範となるがよい」と
義士たちに激励の言葉を述べ、故郷の郡県での正月の大宴会の催しを許可してもいる。
中央の都市国家での為政のような大業に従事することで、君父の尊位の大社会における
紛うことなき存在意義を実地面から計り知ることができた義士たちに、「故郷に錦を飾る」
の言葉通りに錦を持たせて帰郷させ、三綱五常に根ざした本物の仁徳の教化にも務めさせたのだ。
郷原が、田舎者としての世間知らずさを都会にまで持ち込んで、仁徳を始めから無きものの如く
覆い隠してしまうのとは逆に、大都会での徳行によってこそ把捉される、君臣父子の道義関係に
根ざした本物の仁徳を片田舎の郷里にまで普及させていくという、古き良き時代の慣習。
それぐらいであってから初めて、郷原が世の中にもたらす災禍も未然に食い止められるに違いない。
当時の漢帝国の内政と比べれば、日本の徳川幕府の外様冷遇なども徳治の則に適っていたとは言い難く、
どちらかといえば「三略」などの兵法に準拠していたといえる。漢朝は名実共なる「帝業」であった
一方、徳川幕府は名目上「将軍の業」であった格の違いが、こういった点に現れていると言える。
五人の礼儀作法に長ける義士に土産(錦)を与えて、故郷に帰らせる記録がある。
そこで昭帝は、「官職よりも孝悌の道に励むことで、郷里の模範となるがよい」と
義士たちに激励の言葉を述べ、故郷の郡県での正月の大宴会の催しを許可してもいる。
中央の都市国家での為政のような大業に従事することで、君父の尊位の大社会における
紛うことなき存在意義を実地面から計り知ることができた義士たちに、「故郷に錦を飾る」
の言葉通りに錦を持たせて帰郷させ、三綱五常に根ざした本物の仁徳の教化にも務めさせたのだ。
郷原が、田舎者としての世間知らずさを都会にまで持ち込んで、仁徳を始めから無きものの如く
覆い隠してしまうのとは逆に、大都会での徳行によってこそ把捉される、君臣父子の道義関係に
根ざした本物の仁徳を片田舎の郷里にまで普及させていくという、古き良き時代の慣習。
それぐらいであってから初めて、郷原が世の中にもたらす災禍も未然に食い止められるに違いない。
当時の漢帝国の内政と比べれば、日本の徳川幕府の外様冷遇なども徳治の則に適っていたとは言い難く、
どちらかといえば「三略」などの兵法に準拠していたといえる。漢朝は名実共なる「帝業」であった
一方、徳川幕府は名目上「将軍の業」であった格の違いが、こういった点に現れていると言える。
「曰く、交、鄒君に見ゆるを得ば、以て館を仮る可し。願くば留まりて
業を門に受けん。曰く、夫れ道は大路の若く然り。豈に知り難からんや。
人求めざるを病うるのみ。子帰りて而も之を求めば、余れる師有らん」
「曹交『私も鄒の殿様に謁見して宿舎を借りようと思いますので、できれば先生もここに留まって
学問振興を試みていただきたいのですが』 孟先生『道理というものは広大な路のようなもので、
知ろうにも知りがたいようなものではない。ただ誰もそれを求めようとすらしないのが問題であるだけだ。
あなたも国に帰って道理を求めすらしたならば、いくらでもあなたの師となる人物はいることだろう』」
(「孟子」告子章句下・二)
井の中の蛙であるのをいいことに、虚しい偽善を振りかざすような輩もいる一方で、
本当に人の師たるに相応しい人間もまた、そこら中の田舎にすら余るほどいるというのだ。
ちょうど、「人間社会における最小単位の善玉人物や悪玉人物」とでもいったところ。いずれも
遍在することには違いないから、善玉を尊んで悪玉を除けていく日頃からの心がけがあるべきだといえる。
業を門に受けん。曰く、夫れ道は大路の若く然り。豈に知り難からんや。
人求めざるを病うるのみ。子帰りて而も之を求めば、余れる師有らん」
「曹交『私も鄒の殿様に謁見して宿舎を借りようと思いますので、できれば先生もここに留まって
学問振興を試みていただきたいのですが』 孟先生『道理というものは広大な路のようなもので、
知ろうにも知りがたいようなものではない。ただ誰もそれを求めようとすらしないのが問題であるだけだ。
あなたも国に帰って道理を求めすらしたならば、いくらでもあなたの師となる人物はいることだろう』」
(「孟子」告子章句下・二)
井の中の蛙であるのをいいことに、虚しい偽善を振りかざすような輩もいる一方で、
本当に人の師たるに相応しい人間もまた、そこら中の田舎にすら余るほどいるというのだ。
ちょうど、「人間社会における最小単位の善玉人物や悪玉人物」とでもいったところ。いずれも
遍在することには違いないから、善玉を尊んで悪玉を除けていく日頃からの心がけがあるべきだといえる。
諸子百家のなかで、傘地蔵が
儒学ばっかり引用するんはなんでなん?
儒学ばっかり引用するんはなんでなん?
森野「真面目にそんなこと考えてるの? だって私達ガチレズなのよ?ふふふ」
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