郷原(田舎者の偽善者)


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001 2012/05/26(土) 19:31:15 ID:XGdpk5JROQ
きょう‐げん〔キヤウ‐〕【郷原/郷愿】
道徳家を装って、郷里の評判を得ようとする俗物。
(「大辞泉」より)

 
「郷原は徳の賊なり」
「田舎者の偽善者は、かえって徳行の邪魔をする」
(「論語」陽貨第十七・一三より)

 
ド田舎の土佐で、半士半商の郷士の家に生まれ育ち、
幕末の動乱期に最大級のフィクサーとして暗躍した坂本龍馬。
薩長同盟によって、薩摩が長州の捏造した偽勅で東進することを援助し、
大阪堺の三井住友といった豪商から資金を借りた薩軍が、武器商人のグラバーから
重火器を購入することをも斡旋し、以って倒幕を決定付ける最重要人物となったが、
その所業は江戸時代までの日本の常識からいえば、とうてい許されるものではなく、
実際に龍馬は中岡慎太郎と共に、京都の近江屋で惨殺されている。龍馬の所業は、
紛れもなく「郷原(田舎者の偽善者)」としての自己の性格に根ざしたものであり、
天下国家の公益などにまではとうてい視野が及ばないその世間知らずさは、今の
日本の政財界や警察といった権力機構にも、体質として受け継がれたままでいる。

今の日本の権力機構における、最たる病理ともなっている「郷原」の蔓延。
日本の権力腐敗を仮に浄化するというのであれば、郷原の蔓延こそを
駆逐していくことが最重要課題になることも間違いがない。そのための
知識なり、手法なり、心構えなりについて、一通り論じておこうと思う。

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002 2012/05/26(土) 20:07:03 ID:XGdpk5JROQ
坂本龍馬や中岡慎太郎、武市瑞山や岩崎弥太郎といった土佐藩の郷士(白札、地下浪人含む)は、
ただ郷原であるというだけでなく、「元祖郷原」である秦人の系譜をも汲んでいる。

孔子が「論語」で「郷原」と呼んだのも、春秋戦国時代における秦人のような、夏殷周の流れを汲む
正統な道徳規範を解さない田舎者だったわけで、秦人はその中でも、正統な道徳などを解さないままに
勢力だけを付け、覇権主義者としてほんの15年間だけ中国全土を完全征服するまでに至った勢力に当たる。

秦人の人情にかける強権支配は、スケープゴートを失った統一帝国を樹立した途端に一挙に瓦解し、
悪辣な苛政によって中原の民たちを痛めつけてきた秦人は、一転して掃討の対象となった。
その一部は日本にも「秦氏」として渡来し、始めのうちは豪族として朝廷での辣腕を振るうも、
仁徳に欠ける郷原としての体質がやはり日本でも忌み嫌われて、乙巳の変や大化の改新で
排除対象とされ、その主要な勢力は殺されるなり中央を追われるなりし、辛うじて一部の秦氏が
地下扱いの下級貴族として、朝廷に止め置かれるという処分を被ることとなった。

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003 2012/05/26(土) 20:07:18 ID:XGdpk5JROQ
地方に逃げ延びた秦氏の主要勢力のうちでも、朝廷の権限が及ぶ地域に落ち伸びた秦氏は、
被差別部落としての扱いを受けるなどの運命に見舞われたが、土佐国はあまりにも山地が狭隘すぎて、
その山間にまでは朝廷の権限が及ばなかったため、その山間の長岡(今の高知県大豊町付近)に
逃げ延びた秦氏が、また新たな勢力を身に付け始めるに至った。これが「長宗我部氏」の起源である。

土佐藩郷士は、この長宗我部の流れを汲む勢力であり、とうてい士人として扱うに足らないほどにも
世間知らずで俗物然としたその性格が、江戸期に入封した山内氏にも忌み嫌われて、正規の士族としての
扱いを江戸時代の間、ずっと拒絶され続けてきた。幕末における土佐藩郷士の暗躍は、その鬱屈こそを
原動力としている所もあるが、だとした所で郷原であることにも違いはなく、私利私欲のためには他者を
平気で蹴落としもするその残忍さが「いろは丸事件」などにおいて発揮され、多くの人々からの激烈な
怨みや怒りを買い、龍馬や慎太郎を含む土佐藩郷士は、幕末期にまるで虫けらのように殺され尽くして、
明治以降には、公権力者としてそれほど大きな勢力を擁することもできなかった。

しかし、その郷原としての性格は、龍馬の暗躍ありきで国家権力を掌握することができた薩長藩閥勢力や、
士族ではなく商人としての振る舞いに徹したために生き延びられた、岩崎弥太郎の興した三菱などに引き継がれ、
郷原としての体質だけがまるで亡霊のようにして、近現代の日本の権力機構にも巣食ったままでい続けている。

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004 2012/05/26(土) 20:13:53 ID:dZGN.HuDoc
          ∧_∧
        ⊂(´・ω・`)つ-、
      ///   /_/:::::/  てか、武市半平太のほうが共感出来るし 
      |:::|/⊂ヽノ|:::| /」
    / ̄ ̄旦 ̄ ̄ ̄/|
  /______/ | |
  | |-----------| |

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005 2012/05/26(土) 20:50:05 ID:XGdpk5JROQ
武市瑞山(半平太)は、土佐藩郷士の中でも筆頭格の「白札」であり、待遇も正規家臣並みとされていた。
それだけに、他の郷士以上にも武士らしい振る舞いを心がけようとはしていたようだが、
やはり郷原としての本性には抗えず、武士としては許しがたい「結党」という所業にも及んでいる。

「君子は〜群して党せず」
「君子は大勢でいることはあっても、私的に徒党派閥を組んだりはしない」
(「論語」衛霊公第十五・二二より)

数多の郷士の勢いにも押されて、「土佐勤王党」という徒党を結成し、その盟主ともなった武市半平太。
武家社会において結党行為が大罪とされているのは、赤穂浪士討ち入り事件における切腹処分などからも
知られていたことなのに、土佐みたいな田舎で江戸の常識は通用しないとでも思ったのか、地元土佐での
忠節すら疎かなままに、朝廷を祭り上げての徒党を編成するなどという暴挙に及んだ。

この点では、一匹狼や、慎太郎とのコンビなどに終始した龍馬のほうが、
まだマシであるとすらいえ、まるで「早く人間になりたい」妖怪人間のようにして、
郷士筆頭の白札たる武市半平太もまた、武家のなり損ないに止まったのだった。

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006 2012/05/26(土) 21:35:14 ID:XGdpk5JROQ
近現代、特に現代の日本で頻繁に囁かれる「道徳なんか古い」
「道徳なんか権力者が捏造した虚構」などというような言葉。
これはもう、2500年前に秦人などが言い張っていた、道徳に
対するネガティブキャンペーンとも、全く同等の代物となっている。

郷原こそは、世間知らずからなる暴挙によって、道徳の通用しない乱世をもたらす。
自分たちが道徳の通用しない事態をもたらしておいて、「道徳なんか古い」などと
いうような言葉を吐くのは、郷原には自分たちの姿すらもが全く見えていないからだ。

郷原は、自分たちが道徳を知らない状態のままで世間に打って出て、
自分たちの暴挙によって即座に道徳の通用しない乱世をもたらすわけだから、
郷原は郷原である限りにおいて、真の道徳を一貫して察知しないままでい続けるのである。

道徳が通用する世の中の快さ、道徳を守ることのすがすがしさなども
始めから知らないから、道徳に対する否定的な言葉を吐きもする。
その郷原の仕業によって、道徳の通用しない乱世へと変貌させられた都市社会においても、
50年も経てば世代が完全に交代して、都市社会の人間までもが
始めから道徳などを知らないままに生まれ育った人間ばかりと化してしまう。

そうなるともう、天下国家の様相を十分に見据えることでこそわきまえられる
本物の仁義道徳が、都市と田舎とに関わらず、天下全土において忘れ去られ、
道徳なんか始めから知ったこっちゃない、郷原の常識のほうが一般化してしまうのである。

だからこそ、自分たちこそは道徳の毀損者でもある、郷原どもの恥知らずな物言い、
「道徳なんか古い」だのといった虚言のほうが、今では通用してしまっているのである。
(郷原は始めから道徳など知らないのだから、道徳を知った風な物言いからして虚言でしかない)

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007 2012/05/26(土) 22:09:42 ID:XGdpk5JROQ
今の高知県人にあたる土佐人とはまた別種の郷原として、今の鹿児島県人にあたる薩摩人がある。

土佐人が「大悪を為す郷原」であったのに対し、薩摩人は「善を為せない郷原」であった。

正規の武士としての身分すら認められていない土佐藩郷士とは違い、薩摩藩士は正規の武士だった。
のみならず、全国のうちでも最も知行などの面で恵まれた立場にあった藩士であり、朱子学や陽明学
などの道徳学に対する教養もそれなりにあったことが、その歴史的な事跡を見ても明らかである。

にもかかわらず、薩摩藩士らが幕末にも郷原止まりな振る舞いしか出来なかったのは、
薩摩人が「女系の血筋の優秀さ」と、「男系の血筋の頭打ち」という問題を抱えていたからだ。

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008 2012/05/26(土) 22:10:16 ID:XGdpk5JROQ
薩摩藩は江戸時代、琉球王国との外交を一手に引き受けていた。琉球は、王朝を擁していればこそ
大陸からも優秀な血筋の嫁を多数流入させていた。そのおこぼれに薩摩人も多少は与っていため、
(薩摩藩士による琉球娘の暴行に対抗して、琉球でも民間防衛としての唐手も発達した)
琉球と同じく薩摩にも、才色兼備な女性が多い。一方、薩摩藩主の島津氏はといえば、
朝廷から正式に派遣された系統とはいえ、下級貴族となっていた秦氏の末裔であるため、
男系にかけて「秦氏止まり」という、どうにも決まりの付かない国情のままでいた。

女は、どんなに個人的に優秀であったところで、所詮は「婦人の仁」まででしかあり得ない。
天下国家万人の公益を慮る仁徳というのは、どこまでも父親から受け継がれるものであって、
母親から受け継がれるものではない。そのため女系は激烈に優秀でも、男系は所詮秦氏止まりな薩摩人には、
大善を為すことがだけがどうしてもできない、匹夫の勇、婦人の仁の持ち主が多くなってしまった。

この傾向は、古代の中国で言えば「楚人」と呼ばれる類いの人種に近似していて、世界一有名な
楚人である項羽も、匹夫の勇と婦人の仁しか持ち合わせていない郷原だったものだから、天下を得ることが
できなかった。秦人や土佐人のような大悪を為す郷原と比べればまだ害も少ないにしろ、どうしても
大善を為せない「去勢の呪縛」に囚われた郷原であったことが、楚人や薩摩人にかけても間違いなく、
「罪がある」という以上にも「徳がない」ということにかけて、恥を知らねばならないことが確かなのである。

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009 2012/05/26(土) 22:50:44 ID:XGdpk5JROQ
自分にも、いかにも郷原然とした知り合いが何人かいるが、
郷原には根本的な知恵がない。人として最低限わきまえて置くべき重要な
知恵が決定的に抜け落ちていながら、我流でこしらえた浅知恵や悪知恵だけは
多量に蓄積していて、しかもその全ての知恵が虚構止まりであるために、
話し合った所で、何ひとつとして溜飲の下がるところがない。

そして何より、気勢が半端ない。自らの不埒者としての度し難さに非難が
及ぶことを徹底して妨害し続けるために、場の空気を完全に飲み込んで
しまうほどもの、気勢の甚だしさをどこまでも保ち続けようとする。

世間知らずの田舎者だからといって、必ずしも郷原(田舎者の偽善者)になるわけではない。
何も知らないカッペとしての身の程をよくわきまえて、人の言うことを神妙によく聞いて、
大まかな判断だけを自分でする司令官としての立場に徹したなら、空っぽの大器である
田舎者こそは、都会人以上もの大成すらもが期待できるというもの。にもかかわらず、
無知な田舎者としての自己を開き直って、誰にも耳を貸さないほどもの虚勢と共に、
我流の浅知恵を駆使する仕事人として振舞おうとするから、郷原ともなってしまう。

郷原は不治の病ではなく、治そうと思えば治せる病であり、治した先には
都会人以上もの大成すらもが期待できる。そこまでもの教訓を十分に頒布していく
ことができて初めて、自己防衛本能も極大級に旺盛な、郷原体質の持ち主たちによる
権力腐敗に対しても、摘発のメスを入れていくことが可能になるといえる。

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