自分にも、いかにも郷原然とした知り合いが何人かいるが、
郷原には根本的な知恵がない。人として最低限わきまえて置くべき重要な
知恵が決定的に抜け落ちていながら、我流でこしらえた浅知恵や悪知恵だけは
多量に蓄積していて、しかもその全ての知恵が虚構止まりであるために、
話し合った所で、何ひとつとして溜飲の下がるところがない。
そして何より、気勢が半端ない。自らの不埒者としての度し難さに非難が
及ぶことを徹底して妨害し続けるために、場の空気を完全に飲み込んで
しまうほどもの、気勢の甚だしさをどこまでも保ち続けようとする。
世間知らずの田舎者だからといって、必ずしも郷原(田舎者の偽善者)になるわけではない。
何も知らないカッペとしての身の程をよくわきまえて、人の言うことを神妙によく聞いて、
大まかな判断だけを自分でする司令官としての立場に徹したなら、空っぽの大器である
田舎者こそは、都会人以上もの大成すらもが期待できるというもの。にもかかわらず、
無知な田舎者としての自己を開き直って、誰にも耳を貸さないほどもの虚勢と共に、
我流の浅知恵を駆使する仕事人として振舞おうとするから、郷原ともなってしまう。
郷原は不治の病ではなく、治そうと思えば治せる病であり、治した先には
都会人以上もの大成すらもが期待できる。そこまでもの教訓を十分に頒布していく
ことができて初めて、自己防衛本能も極大級に旺盛な、郷原体質の持ち主たちによる
権力腐敗に対しても、摘発のメスを入れていくことが可能になるといえる。
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