近現代、特に現代の日本で頻繁に囁かれる「道徳なんか古い」
「道徳なんか権力者が捏造した虚構」などというような言葉。
これはもう、2500年前に秦人などが言い張っていた、道徳に
対するネガティブキャンペーンとも、全く同等の代物となっている。
郷原こそは、世間知らずからなる暴挙によって、道徳の通用しない乱世をもたらす。
自分たちが道徳の通用しない事態をもたらしておいて、「道徳なんか古い」などと
いうような言葉を吐くのは、郷原には自分たちの姿すらもが全く見えていないからだ。
郷原は、自分たちが道徳を知らない状態のままで世間に打って出て、
自分たちの暴挙によって即座に道徳の通用しない乱世をもたらすわけだから、
郷原は郷原である限りにおいて、真の道徳を一貫して察知しないままでい続けるのである。
道徳が通用する世の中の快さ、道徳を守ることのすがすがしさなども
始めから知らないから、道徳に対する否定的な言葉を吐きもする。
その郷原の仕業によって、道徳の通用しない乱世へと変貌させられた都市社会においても、
50年も経てば世代が完全に交代して、都市社会の人間までもが
始めから道徳などを知らないままに生まれ育った人間ばかりと化してしまう。
そうなるともう、天下国家の様相を十分に見据えることでこそわきまえられる
本物の仁義道徳が、都市と田舎とに関わらず、天下全土において忘れ去られ、
道徳なんか始めから知ったこっちゃない、郷原の常識のほうが一般化してしまうのである。
だからこそ、自分たちこそは道徳の毀損者でもある、郷原どもの恥知らずな物言い、
「道徳なんか古い」だのといった虚言のほうが、今では通用してしまっているのである。
(郷原は始めから道徳など知らないのだから、道徳を知った風な物言いからして虚言でしかない)
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