すでに教養(主義)は随分前に死亡宣告を受けていますね。
もともと教養は、受験のための学問でもなく、金を稼ぐために役に立つ実学的知識でもない。
それは、もともと文化の享受を通じた「人格」の向上という目的を持っていましたね。
旧制高校や帝国大学の学生文化などがまさにそうでした。
日本の代表的な教養小説に『三太郎の日記』がありますね。
こんなのを読むと教養(主義)というものがどういうものだったか、よくわかります。
ドイツではもともとビルドゥングスロマーンといって、
ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの・・・』やトーマスマン『魔の山』などが有名ですね。
これらに共通するのは、主人公が様々な経験を通じて人間的・人格的に成長していく(自己形成する)という構図です。
で、現代です。(特に大学の大衆化以降)
「人格」を磨くとか向上させるなんていうことが、とても意味・価値があることとは思えなくなってしまった。
わかりやすく言っちゃうと、
「哲学?文学?芸術?それ何の役に立つの?意味あるの?それで人生よりよくなるの?」
「そんなモン知らなくても人生楽しく暮らせるじゃん」というのが、大学で教養科目を学ぶほとんどの大学生のホンネですね。
つまり、教養は「リア充」にはつながらず、下手をするとその対極にあるものとすら考えられたりする。(コミュ力不足の学問オタク?)
もっと言えば、
「哲学や文学に詳しいのと、AKBに詳しいのと何が違うの?どちらも実生活には何の役にも立たないオタクじゃん?」
というように、知の領域に凹凸がなくなり、すべてがフラット化するという現象が(特にポストモダンの議論以降)起こっている。
そんな時代に教養を説く意味は何か?
それを考えるにはまず、筒井清忠『日本型「教養」の運命』や、竹内洋『教養主義の没落』などが必読文献ですね。
ちなみにこのスレで話題になっている「本の読み方」については、「本の読み方を説く本」というのがありますので、まずはそういうのを読むといいかもです。
自分のおすすめは、内田義彦『読書と社会科学』や外山滋比古『思考の整理学』などです。どちらも古い本ですが今でも十分読むに値する本ですね。
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