民主主義の大前提ともなっている、公職者に対する卑しみは、古くは新約聖書における、徴税人を卑しい身分と決め付ける
イエスの発言などにまでその起源がさかのぼれるが、イエスが公職者である徴税人を「卑しい身分」と決め付けたのは、
当時のイスラエルやローマの公職者が、どいつもこいつも腐敗まみれであることを皮肉ったからなだけであって、
(もしくはイエスがあまりにも世間知らず過ぎて、公職者を本気で卑しい身分だなどと思い込んでいたかのいずれか)
徴税人を含む公職者こそは、民間人以上にも真摯に公益を図る立派な人間でなければならないことは、今も昔も変わらない。
にもかかわらず、「民間人こそは貴く、公職者こそは卑しい」などという偏見ないし皮肉を大前提とした
イデオロギーである「民主主義」などを国是に掲げたりするものだから、そのような社会の公職者である政治家や官僚もまた、
自分たちも民間人のように私利私欲を貪っていくことがデフォルトであるかのように見なして、選挙での得票のために、
表向きだけは巧言令色での人気取りを尽くしておきながら、裏では腐敗まみれであることを当たり前としたりするようになる。
致命的な政治腐敗を防ぐためには、「立派な人間」と「公職者」を一致させ、「つまらない人間」と「民間人」を一致させる努力
からまずなされるべきなのであり、そのためには、それぞれの言葉を「君子」や「小人」といった言葉で統一化すべきですらある。
そういった、根本的な言葉遣いから正していくことで、初めて政治腐敗をデフォルトとするかのような事態もまた防がれるのだから、
「民主主義」などという、政治腐敗を大前提とした言葉遣いの中でのみ生ずる理念などを、あり難がっていてもいけないのである。
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