格物致知(かくぶつちち).
中国哲学の用語。『大学』に、学問(儒学)の規模を、
格物、致知、誠意、正心、修身、斉家(せいか)、治国、平天下の
8段階(朱熹のいう八条目)に整理して示した。その最初の2項目である。
(「日本大百科全書」より)
「物を格して知を致す」とも日本語では読み下される、朱子学上の最重要理念。
あまりにも抽象的すぎて理解しにくく、実際に儒者の間でも様々な解釈が試みられてきた。
朱子は「格物窮理(物を格して理を窮む)」と同じ意味だとも解説したが、
では格物致知とは「物理を極める」ということなのかといえば、それもまた不可解なこと。
科学上の物理学が未だ完成された試しなどはなく、物理科学を極めるということであるのなら、
格物窮理であるところの格物致知が、未だ達成された試しはないのだといえる。
相対性理論や量子力学はおろか、力学などの古典物理学ほどにも、科学的な探求を
試みた形跡の見られない東洋学において、格物致知とは、一体何だったのだろうか?
その疑問を解き明かしてみると、そこには、学問知識の本来のあり方までもが見えて来る。
結果として、純正な学問が本来あるべき姿を指し示している理念であることが
判明する、格物致知という理念について、なるべく事細かに論じていく。
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