
本阿弥光悦みたいな、芸術方面で大層な功績を挙げた技芸者が、
政治方面への参画によって相当な役回りを果たしたような場合もあるのだから、
空想的な方面での英才が必ずしも現実の方面にかけて無力、なんてわけでもない。
ひとえに、今の政治が実践能力皆無の座学エリートなどに牛耳られているせいで、
多少ほどの理想追及も差し挟めないような腐敗を極めているからこそ、
空想方面での理想の追求などとの折り合いが全く付かなくなっているのである。
座学エリートってのは、実践面で全くの無力だからこそ、それでも低学歴などとの
間での上下関係を決め込むために、重箱の隅を突いて揚げ足を取るような
他者への落ち度の糾弾からの貶めなどにかけては並外れて必死であろうとし、
さような貶め合いの中でも厚顔無恥に上位者を気取っていられる自己狂信まで養う。
そんな連中ばかりがひしめいている権力中枢では、平民の目から見てもゴミとクズの
争いのような腐敗状態が蔓延してしまい、理想を追い求めるどころか、むしろ
理想の逆を行くことにかけての競争こそが真骨頂と化したような始末でいる。
それは日本に限らず、洋の東西を問わぬ全世界で見られる傾向でもあり、
中国でも秦檜が岳飛を謀殺して、文弱な科挙エリートの官僚が政治的影響力で
軍人などを決定的に上回った宋代以降に、致命的な腐敗や凋落が招かれて今に至る。
権力中枢が座学エリートに牛耳られるのは、全世界の歴史にとっての暗部なのである。
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