「禮君不稱天」「礼君は天を称さず」
「礼儀をわきまえた主君は自らを『天』などとは称さない」
(「礼記」坊記第三十)
日本の主君の号である「天皇」は、その呼称からして実は非礼に当たる。
おそらく聖徳太子あたりが、隋の皇帝煬帝に対抗して名乗らせ始めた呼称に
違いないが、他国の皇帝に対抗して勝手に「皇」を名乗り始めたことのみならず、
そもそも「天皇」という呼称を用い始めたこと自体が、普遍的な礼法に反している。
しかし、聖徳太子は「礼記」儒行第四十一から「和を以って貴しと為す」という記述を
十七条憲法に引用するなど、礼法にも精通していたことが明らかである。にもかかわらず、
あえて「天皇」などという礼法に反する呼称を用いさせ始めたのには、ちゃんとわけがある。
天皇は、人界の主君こそが敬うべき「主君のための主君」なのである。
天皇本人は、主君というよりは「天」そのものであり、人間社会を実力によって統治する
国王や帝王並みの主君がその「天」を敬うようにすることで、世の礼儀を正して行くのである。
かの有名な遣隋使の「日出ずる処の天子、日没する処の天子に書を致す。恙無きや」という
文書の「日出ずる処の天子」というのも、実はこの書を小野妹子に送らせた聖徳太子自身の
ことを指しているのであり、天皇はその天子たる聖徳太子が敬う天そのものでこそあった。
聖徳太子の後にも摂関家や将軍家など、天皇以上もの社会的実力を持つ権力者が多数
日本では勇躍した、それも「天皇」という号の特殊性に合致した必然的な結果だったのであり、
天皇の他に実力ある主君級の人物がいて、その人物こそは天皇を敬いの対象として
行くことでこそ、天皇制という体制もまたその存在意義を帯びるのである。
天皇の他に主君級の人物がいるわけでもないのに、ただの平民なぞが主君としての天皇などを
敬おうとしたりしたなら、かえってそれが無礼を助長する結果にすらなってしまうわけで、
一君万民状態での天皇制は全く意味がないのみならず、害があるとすら言える代物なのである。
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