学者であっても、儒者(儒学者)は自己修養による徳性の養生を本務としている。
ただ学者であるだけでなく、自分たち自身が身を挺して政治機構に携わり、
仁政を試みたりする過程において、自らも聖人君子としての素養を蓄える。
しかし、その儒者のうちでも、孔子や孟子がその知見だけでなく、
人格の雄大さからなる、男らしい主観にまで信頼が置ける一方で、荀子などは、
その知見については信頼が置ける一方で、その人格にまで信頼を置けはしない。
知見の豊富さについては、時に孔子や孟子以上で、著書の「荀子」にも「論語」や「孟子」には
ほとんど見られない、流麗な文辞が多数散りばめられている。実際にその学知の高さを
手本とした門弟の李斯が秦帝国で宰相となり、同じく門弟の韓非が提唱した法家思想が
始皇帝の眼鏡にもかなって、全中国を統一した帝政の指針としても重用されている。
その、荀子の主観的な論説として有名な「性悪論」、これこそは「論説などとしては決して
標榜すべきでない代物」であることが今となっては明らか。自殺報道や飲酒運転事故の報道が
強化されればされるほど、より自殺や飲酒運転が多発するようにして、性悪論などという
論説をわざわざ標榜することによってこそ、人々が「人間の本性は悪なんだ」と思い込み、
実際にそうであるかのように振舞い始め、後付けで性悪社会が捏造されてしまうことになる。
だから、荀子の博覧強記さからなる純粋な情報提供などには信頼が置ける一方で、
別段人格者であるわけでもない本人の主観には、全く信頼が置けたりはしない。
たとえば荀子が、孔子の発言として引用した
「天下に道有るときは、盗其れ先ず変ぜんか(荀子・正論篇第十八・七)」
などという言葉は、博学な荀子がただの伝聞情報として提供してくれたものだから、
それなりに信頼が置ける。しかし、単なる荀子の主観に過ぎない上記のような性悪論や、
「争う者はその身を忘るる者なり、其の親を忘るる者なり、其の君を忘るる者なり(栄辱篇第四・三)」
などというめくらめっぽう臆病まみれな反戦論などは、何ら信頼するには足らないし、純粋な
人としての底が見えてしまっているものだから、どうにも尊敬の対象などにもし難いのである。
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