おまいら論語から何を学んだ?


▼ページ最下部
001 2011/12/28(水) 10:19:19 ID:mvnSsm/.bY
ん?

返信する

※省略されてます すべて表示...
035 2012/01/19(木) 00:28:18 ID:VvJicxa.as:au
おぉ、やはりあるんですね。ありがとうございます。

良寛を持ち出しましたが、私はエピソードの断片を聞いたときに「自分にはとうてい無理」と感じた次第です。同時に、
「冤罪を受け入れるっても、もし私刑になったらやった方は後々どうすんのよ?」
みたいにも思ったりしました。

「三度繰り返す」はいいですね。「今、気付けなくとも後に」「伝え聞いた者に」

そんな局面で自分ならどうだろう、とした時に、孔子のような対応ができれば喜ばしいのですが…

返信する

036 2012/01/19(木) 01:18:57 ID:61S5XhqxOo
>>34は「すでに過ぎ去ったことを、今さら咎めても仕方がない」という意味を持つ
論語中の言葉であるだけで、別に冤罪を受け入れるような意味の言葉ではない。

論語ではないが、孔子の詩選集である「詩経」の瞻卬という詩に、
冤罪が方々で横行している乱世の惨状を嘆く句が見られたりもする。

冤罪自体は、どこまでも現在進行形の犯罪現象であり、真の加害者が罪に服して、
冤罪被害者の名誉が回復されるまで「すでに過ぎたこと」になったりすることはない。

冤罪災禍がいかに甚大であったとしても、真の加害者の服罪と、冤罪被害者の名誉回復とが
尽くされて、冤罪という犯罪現象が過ぎ去った後には、もはや過ぎ去った過ちに対して、
いつまでもくすぶりを持ち越していてはいけないという教訓に、>>34の言葉もなっている。

返信する

037 2012/01/20(金) 10:12:54 ID:Ekxsbp4Hmk
孔子の場合だけ「曰く」を「のたまわく」と読むのは何故?

返信する

038 2012/01/20(金) 12:36:36 ID:4n7FPAGetg:au
「昔の道徳は子曰くがどうたらこうたら」言ってるような老人は、
結局、「子曰く」しか覚えていない。

返信する

039 2012/01/20(金) 20:04:56 ID:wiT448sbm6
大道廃れて仁義あり
論語だけ読んでても頭でっかちになるだけでいかんと思う

返信する

040 2012/01/20(金) 23:44:02 ID:AmVYNY8p1w
確かに、論語は儒学の入門書でしかないわけで、学識がそこ止まりでい過ぎれば、
それが「儒教」を絶対化する傾向にも結び付いてしまうため、好ましくない。

論語を含む四書五経の中で最難解なのが「易経(周易)」で、占い材料としてならともかく、
思想哲学の資料としての易の価値を計り知るのは、初学者には甚だ困難なことだと朱子も言っている。

論語に始まり、易に極まる儒学の長い永い道のりを、
論語をかじる程度で止め置くなんて、勿体ないにも程がある。

返信する

041 2012/01/21(土) 13:59:18 ID:B5PLZdXw5s:au
趣味で学者然としているのは個々の自由,勝手だが、己の日常に息づいてこその『論語』であると思う。それでなくばカラオケとさして変わらぬもの。ただし、カラオケ趣味にはその自覚があるが。

返信する

042 2012/01/21(土) 14:53:30 ID:GFUVAYnWqA
「邦に道有れば穀す。邦に道無きに穀するは、恥なり」
(憲問題十四・一)

確かに、権力犯罪の強盗殺人による報酬で、
虚栄を謳歌しながら論語を振りかざしたりするような
恥知らずな行いに及ぶことがあるとすれば、
そんなのはカラオケとも大して変わりはしないといえる。

全身全霊を呈しての実践が伴っていてこそ、
孔子や孟子の言葉もまた、心の奥底にまで響き渡るものだといえる。

返信する

043 2012/02/05(日) 01:49:30 ID:9XM3ayHHIk
削除(by投稿者)

返信する

044 2012/02/05(日) 12:20:29 ID:LfaOSs.ttY
論語は本当にすばらしい書だとおもう。
学んだことはたくさんあるけれど、
実生活で一番役に立ったのはとても簡明なこの言葉。

巧言令色、鮮なし仁。(巧言令色鮮矣仁。)学而篇・陽貨篇

孔子の時代でもこうならば、
現代は言うにも及ばない。

返信する

045 2012/02/05(日) 13:23:39 ID:7GJ6iliq9s
巧言令色は、カッコ悪い。

巧言令色の徒ですらなければ、たとえフットボール岩尾似やバナナマン日村似であっても、
巧言令色豊かなレオナルド・ディカプリオやブラッド・ピットよもりかっこいい。

少なくとも、漢(おとこ)同士であれば、そう見なす。

返信する

046 2012/02/05(日) 17:44:06 ID:KVvOS.PQwo:au
ヒス爺が涌くぞwwww

返信する

047 2012/02/06(月) 11:31:14 ID:TyfDjE5Mrs:au
四十不惑は、優秀な大人についても駄目な大人についても共通して言える普遍法則。

四十も過ぎてからろくでもないようなやからは、もはや矯正も不能。

返信する

048 2012/02/06(月) 23:57:43 ID:ap.PTEy32k:au
いやいや、君子豹変す、だよ。
己の歪みを自ら暴き、修正が必要とあらば翌日には全く別な視点に立つことは、年齢に関係なく可能であるし
そうあって欲しいと望む。
そうできなければ、君子と呼ぶわけにはゆかない。

返信する

049 2012/02/07(火) 09:03:48 ID:rn2Cu4rJmM:au
優秀な大人は君子だから、四十までに積み上げた優秀さで以って不惑となり、
優秀さが不惑となるから別に豹変する必要もない。

駄目な大人は君子ではないから、四十までに溜め込んだダメダメさで
以て不惑となり、豹変したくても二度とできない。

返信する

050 2012/02/10(金) 20:10:18 ID:RDM8kvGVQk:au
了見狭すぎてレス無しwww

返信する

051 2012/02/12(日) 13:45:58 ID:.E2Mi3BSZw:au
狭い狭い了見の、勧善懲悪によってでしか生き延びられなくなっているのは、何処の何方やら?

返信する

052 2012/02/12(日) 23:40:00 ID:Znaazm06sg:au
>>51
口惜しいかなそれは俺だな。自覚がある。
参った!

返信する

053 2012/02/13(月) 00:20:37 ID:wwZKPhK7XI:au
勧善懲悪はけっこう大きなテーマだ。
これが機になってくれれば良いのだが。

返信する

054 2012/02/13(月) 04:22:12 ID:U6QcR0iLFY
>>45
それだな。
論語の世界は男(漢)の世界。
生理生物学上、先天的に現実的で計算高いおんなには、大体部分ちょっと理解し難い世界だと思う。
逆説的に言えば、男を形而下の現実の厳しさからから救い出してくれる書。
しかし、救い出された漢は、現実で尊崇を集める的になる。って...
う〜ん、やっぱり論語は凄みがあるな。

返信する

055 2012/02/13(月) 11:13:40 ID:KMDiUgqW3I:au
痴話を聞かない男、論語が読めない女

返信する

056 2012/02/13(月) 15:35:24 ID:im0nxWVOPA
著者である孟軻や荀況自身が、仁徳を体系的・分析的に述べているのが
「孟子」や「荀子」であるのに対し、「論語」は五経の編纂者である
孔子の断片的な言行を寄せ集めただけのものだから、論語だけで
仁徳の本質を計り知るのは、かえって難しいことではないかと思う。

特に、西洋哲学の晦渋さに慣れているような人間にとっては、
体系性の豊かな孟子や荀子の言葉のほうが取っ付きやすいんじゃないか。

もちろん、儒者としても、孔子のほうが孟子や荀子よりも格上であって、
最高級の聖人君子のあり方を手っ取り早く知る上では、論語が打って付けなわけだけども。

返信する

057 2012/02/14(火) 01:48:33 ID:nPNTQRq1KQ:au
『勧善懲悪癖』に対応しようとはたらくのは『勧善懲悪癖』を、相変わらず「悪」としてしまうことになる。

なら、思い浮かんだ『勧善懲悪』の思いをスルーする心がけすべし、か。

なら、そのぶん話せなくなるな。
巧言令色を避けることにもつながるのか。論語は奥が深いな。

返信する

058 2012/02/16(木) 00:15:52 ID:ONezPsi1CQ
論語で用いられている「君子」という言葉は、「立派な人間」という意味の
形容詞性名詞と、「公職者」という社会的身分とのダブルミーニングとなっている。
また、「小人」という言葉も、「つまらない人間」という意味の形容詞性名詞と、
「民間人」という社会的身分とのダブルミーニングになっている。

「立派な人間は世のため人のための公益扶助を志すから、公職者となる。だから公職者は君子であるべきである。
一方、つまらない人間は私利私欲の貪りに終始するから、民間人でいる。だから民間人は小人であってもよい」
という社会機能の健全化の意図をも込めて、あえて「立派な人間」と「公職者」とを「君子」という言葉で括り、
「つまらない人間」と「民間人」とを「小人」という言葉で括っている。

ここが、民主主義社会にドップリ浸かっている現代人には、全く以って「意味が分からない部分」とされる。
民主主義の前提には、「公職者こそは私利私欲を貪る存在である一方、民間人こそは世の中に対する公正な判断を
行える人間である」という認識があり、これは、論語における公職者や民間人に対する認識とは全く相反している。だから、
民主主義社会の人間には、立派な人間と公職者、つまらない人間と民間人を同一扱いする、論語の語法が全く理解できない。

返信する

059 2012/02/16(木) 00:16:12 ID:ONezPsi1CQ
民主主義の大前提ともなっている、公職者に対する卑しみは、古くは新約聖書における、徴税人を卑しい身分と決め付ける
イエスの発言などにまでその起源がさかのぼれるが、イエスが公職者である徴税人を「卑しい身分」と決め付けたのは、
当時のイスラエルやローマの公職者が、どいつもこいつも腐敗まみれであることを皮肉ったからなだけであって、
(もしくはイエスがあまりにも世間知らず過ぎて、公職者を本気で卑しい身分だなどと思い込んでいたかのいずれか)
徴税人を含む公職者こそは、民間人以上にも真摯に公益を図る立派な人間でなければならないことは、今も昔も変わらない。

にもかかわらず、「民間人こそは貴く、公職者こそは卑しい」などという偏見ないし皮肉を大前提とした
イデオロギーである「民主主義」などを国是に掲げたりするものだから、そのような社会の公職者である政治家や官僚もまた、
自分たちも民間人のように私利私欲を貪っていくことがデフォルトであるかのように見なして、選挙での得票のために、
表向きだけは巧言令色での人気取りを尽くしておきながら、裏では腐敗まみれであることを当たり前としたりするようになる。

致命的な政治腐敗を防ぐためには、「立派な人間」と「公職者」を一致させ、「つまらない人間」と「民間人」を一致させる努力
からまずなされるべきなのであり、そのためには、それぞれの言葉を「君子」や「小人」といった言葉で統一化すべきですらある。
そういった、根本的な言葉遣いから正していくことで、初めて政治腐敗をデフォルトとするかのような事態もまた防がれるのだから、
「民主主義」などという、政治腐敗を大前提とした言葉遣いの中でのみ生ずる理念などを、あり難がっていてもいけないのである。

返信する

060 2012/02/16(木) 23:11:19 ID:mvpt3bugIE:au
私にとって51氏は、ご本人の意志にかかわらず、君子だ。
「狭い」を二度、重ねていただいたのが、より明確に突き刺さり、この数日でもずいぶん改まってきたが、根本的な了見の狭さ自体はまだまだ大差無いんだろう。

きっかけをいただいて、あらためて「論語から何を学んだか?」とすれば『中庸』になるのか。
片寄らず、かといって押し殺さず。そのぶん、了見の「広さ」を得てくるようにも思う。

返信する

061 2012/02/17(金) 18:34:48 ID:LA8gpqNqvM:au
俺の言うことが理解できる近場の人間って、
みんな何十年も修練を積んだ武道家だったり神道家だったりするんだが、
そんなに短期間で理解できるようになるもんかね?

返信する

062 2012/02/18(土) 21:03:41 ID:xJmKVA1iTs:au
>>61
私は途上の人間なのであなたの想定している方々とはたぶん異なる、どちらかといえばマイナス条件な輩だと思う。

カーブを投げても、相手の立ち位置によって球すじはシュートにもフォークにも見える。
どのみち、一本負けを期した小僧の戯れ言になるか。

ただ言えるのは、投げた球種が違っても真ん中ストライクで見事に負かせたのは、そちらの力量が充実してこその話しなんだろう。


中庸狙いの小僧がふと思ったのは、ともすれば思い出したくない「恥」に分類されている過去、
触れることを避けてきた自分の黒歴史を自ら許してやることが中庸につながるのではないか、
定かな理由もなく、そう感じた。

こういうことを検証する気はないが「北風と太陽の理屈」になるような気がする。

返信する

063 2022/04/16(土) 17:46:23 ID:vHVwWqpvBI
桃屋のごはんですよ

返信する


▲ページ最上部

ログサイズ:42 KB 有効レス数:63 削除レス数:0





知識/学問掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

スレッドタイトル:おまいら論語から何を学んだ?

レス投稿

未ログイン (ログイン

↑画像ファイル(jpg,gif,png)