
歴史上には、刀の研師を本業としながら、
その他の多様な分野に至るまでの総合芸術家として大成し、
さらには時の権力者に見込まれて、豪商との取次役などの要職まで任されたような人物もいる。
それが、政商の間にモノづくりの大家を挟むことで、士>工>商の序列を正すような効果も兼ねてたし、
より実践的な生業に励んでいる者こそが、国を動かす域の職分にもより相応しいといったこともある。
まず以て、ある程度以上に求道的な実践に励む者というのは、
同じ山の頂上を色々な山道から登っている者同士のような関係にあるために、
その範囲の別分野でも本阿弥光悦のように手堅い仕事を果たすことがそう難しいこととはならない。
(だいたい本業のほうが忙しいために、そんなに好んで他分野に飛びつくこともないが)
ただ、その「山」っていうのが、実践本位と座学本位では全くの別物であるために、
モノづくり系企業の高学歴な経営陣が、自分たちの給料を守るために技術者からリストラするような
真似も平気で行われる。両者には全く同調できる部分がないからこそ、そこに良心の呵責も抱かれない。
近代以降の日本は、ホワイトワーカーとブルーワーカーを学生のうちから分断して、
頭を使う仕事は前者にしかやらせないドイツの風習などを取り入れて来ているために、
座学本位>実践本位という社会的上下関係が定着してしまった。まさにそこが終焉を迎えるべき時なのである。
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