鐘紡なんかも自前の学校を持っていた とのこと
織物や染色などの技術の習得は、一般の学校では、とても無理
企業が独自に学校を創るしかない
明治維新を、もう一度やり直す ・・ 働く人材の育成が重要
・・こっちこそ、「教育を戦前に戻せ!」だろ!
一昔前の工業高校や職業訓練校の先生は、圧倒的に暴力教師が多かった。
教師:貴様の親は、金持ちか?貧乏か?どっちだ?
生徒:金持ちではありません。
教師:だったら、よそ見なんかしていないで、しかりやれ!馬鹿野郎!(ボコ・・)
その代わり、非常に面倒見が良く、こいつはどこでつまずいている、こいつの壁を乗り越えさせるためには、何が必要か、しっかり見抜いている。
分からないところ、できないところを、親身に教えてくれる。だけど、やたらうるさい、すぐ殴る・・
(だから、工業高校の、野球部、サッカー部、バスケットボール部、ラグビー部から名監督が出てくる)理由かな
工業高校=荒れた学校の代名詞の時代もあったけれど、底辺の学校では、日本が豊になり、この教師と生徒の主従関係が崩れ、不良文化を煽る風潮が
出てきて、学校の中をバイクで乗り回すとか、手がつけられない状態になったが、
スクールウォーズ 京都市立伏見工業高等学校山口良治先生のように「お前たちの闘争本能を、スポーツに、思い切りぶつけてみろ!」
で、盛り返すのであった。「荒れた学校を、建て直した教師たちの熱意」は、十分に評価されているじゃないか!
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