キリスト教はすでに、「問題そのもの」としては下火の部類に入る。
欧米聖書圏が、全世界を完全に征服し尽くすほどもの
猛威を振るっていたのは、すでに100年程度も昔の話。
日進日露戦争や大東亜戦争を通じてアジア諸国が独立し、
連鎖的にアフリカ諸国も独立し、欧米諸国によって強制的にキリスト教国化
されてもいたのが、ヴードゥー教などの土着宗教が見直され始めてもいる。
しかし、その「禍根」は未だに甚だしく、愚民化の手段として
キリスト信仰の押し付けが用いられたアフリカ諸国における教育水準の低さなども
相変わらずのままで、そのせいでの乱交や戦乱もまた、避けられないままでいる。
何といっても、現代の地球社会を理念面で支配している「洋学(西洋の学問)」が
欧米聖書圏の産物であり、完全な無宗教の学問を装ってはいるものの、その肝要は、
キリスト教徒並みの蒙昧者にまで、望みどおりの生活や活動の手段を提供してやることにある。
だから、キリスト教自体はほとんど取り入れなかった一方で、洋学だけは大々的に
取り入れた日本や中国も、昔はそれはそれは偉大な人物が多数いたのに、今となっては
箸にも棒にもかからないような愚人ばかりで国土が埋め尽くされてしまっている。
キリスト教という「原因」があった「結果」としての、諸問題は今でもそこら中にあり、
一定度以上に深刻なものとして扱われる社会的な問題の「原因」はといえば、
ほぼ必ずといっていいほどキリスト教である。ただ、その「結果」としての問題が
キリスト教という「原因」によってもたらされていることは、随分と蔑ろにされていて、
もはやキリスト教が「原因」であることを完全に忘れ去っているきらいすらある。
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