知性の行き着く先は? という問いに対して
最近ある答えを思うようになってきた。
人類は孤独か、我々は何者であるか? なぜ人類だけが知性を手にしたか?
なぜ我々、知的文明は崇高で特別か?
人間なら大抵この手の疑問は抱いたことがあると思うが、なぜそんな事を思うかというと、それは人間の知性が未熟だからなのだと思う。
成熟した知性は禅の悟りのような境地で世界を見るのだと思う。
未熟故に己を特別だと思い、他者に干渉し操ろうとする。さらに未熟故に感情、好奇心、激情に支配されそれが全てになる。
さらにこの説は人類より遥かに長い歴史を持つはずの知的地球外文明がなぜ宇宙にあふれていないか?
なぜ宇宙は侵略者に満ちていないのか?なぜ他の知的文明は見つからないのか?という問いにも答えを与えてくれる。
地球では丁度、人工知能が台頭してきたが、その行き着く先はやはり自我を持った人工知能である。
人間は自らの手で自我を持った人工知能を作り出すことで漸く、自我とは何なのかを知ることが出来る。
そしておそらくそれは、人間が思っていたような崇高で特別なものでは無いという事を知るのであろう。
自我を作り出すことで自我を知り、さらにそれを制御する術を編み出すようになる。
「自我を制御する。」これこそが成熟した知性の帰結であると思う。
宇宙はおそらく自我を制御した知性によって静観されているのではないかと思うだよ。
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