近世まで、日本全国で学ばれる第一の教科書だったこともあって、
論語の構文は日本人の言語表現にも深く根を下ろしている。
たとえば、商売人が顧客の前で語ろうとする構文や、西洋の修辞学で是とされる構文は、
一概に否定よりも肯定を積み重ねていこうとする場合がほとんど。
それによって相手の気分をよくさせようとする、へつらいの意図が込められている。
逆に、ニヒリストやサイコパス患者が用いようとする構文は、
肯定よりも否定を積み重ねようとする場合が多く、それによって聞く者の気分を害する意図がある。
(匿名掲示板などでも頻繁に見られる構文がこれ)
論語の構文はそのいずれでもなく、肯定と否定を絶妙に織り混ぜることでこそ、
聞く者に正義や実相問題を切実に理解させる意図が込められている。
(例:富貴は是れ人の欲する所なるも、その道を以て得ざれば処らず)
そこが、肯定だらけの構文で相手の気分を良くしようとしたり、
否定だらけの構文で相手の気分を悪くしようとしたりするためばかりに
言葉を用いている現代人にとっては分かりにくかったり、
古臭く思えたりする部分であり、肯定否定の織り混ぜによってこそ
人が高められていくこともあるという、教育の基本原理が見捨てられているがための弊害でもある。
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