おまいら論語から何を学んだ?


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001 2011/12/28(水) 10:19:19 ID:mvnSsm/.bY
ん?

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002 2011/12/28(水) 10:23:29 ID:0LA0XZKENs
愛を学びました。

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003 2011/12/28(水) 11:14:06 ID:U8vJ77Y9w2
男尊女卑
年功序列

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004 2011/12/28(水) 18:10:21 ID:JlUg92zRks:au
気に入らないコテハンに延々と粘着しろって書いてあるの?

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005 2011/12/28(水) 18:25:23 ID:ZKuk1ye9bI
曖昧にわからないと思っていたが
全然わからないということが
よくわかった

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006 2011/12/28(水) 21:30:53 ID:fFNoB8d3Qs
永久不変の絶対真理(善因楽果悪因苦果の罪福異熟)に即して
「善」とされるものを、世俗の言葉に起こしたのが論語。

永久不変の絶対真理に即して「悪」とされるものを、
世俗の言葉に起こしたのが新旧約聖書でもある。

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007 2011/12/29(木) 01:53:06 ID:LqplDLwGj.
ロンゴロンゴ文字でググレカス

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008 2011/12/29(木) 08:44:47 ID:rjYw8/Gatg:au
近世まで、日本全国で学ばれる第一の教科書だったこともあって、
論語の構文は日本人の言語表現にも深く根を下ろしている。

たとえば、商売人が顧客の前で語ろうとする構文や、西洋の修辞学で是とされる構文は、
一概に否定よりも肯定を積み重ねていこうとする場合がほとんど。
それによって相手の気分をよくさせようとする、へつらいの意図が込められている。

逆に、ニヒリストやサイコパス患者が用いようとする構文は、
肯定よりも否定を積み重ねようとする場合が多く、それによって聞く者の気分を害する意図がある。
(匿名掲示板などでも頻繁に見られる構文がこれ)

論語の構文はそのいずれでもなく、肯定と否定を絶妙に織り混ぜることでこそ、
聞く者に正義や実相問題を切実に理解させる意図が込められている。
(例:富貴は是れ人の欲する所なるも、その道を以て得ざれば処らず)

そこが、肯定だらけの構文で相手の気分を良くしようとしたり、
否定だらけの構文で相手の気分を悪くしようとしたりするためばかりに
言葉を用いている現代人にとっては分かりにくかったり、
古臭く思えたりする部分であり、肯定否定の織り混ぜによってこそ
人が高められていくこともあるという、教育の基本原理が見捨てられているがための弊害でもある。

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009 2011/12/29(木) 09:03:28 ID:rjYw8/Gatg:au
孔子:富は誰でも欲しがるものだが、道義に根差して得られないのならもらわない。(肯定して否定)
イエス:不正な富で友達を作れ、そしたら神の家に入れてもらえる。(肯定して肯定)

孔子は構文上で肯定と否定のバランスを取っているが、
イエスは一概に肯定を積み重ねようとしている。聞いてて気分がよくなるのは
イエスの構文のほうだが、所詮はへつらい止まりであり、良いものは良い、
悪いものは悪いとして肯定否定を使い分ける孔子の言葉のほうが、教育的な価値をも伴っている。

昔の日本人には孔子のような、肯定否定を織り混ぜた絶妙な教訓を述べられる人間が多かったが、
近ごろはめっきり減ってしまい、一概な肯定や否定のためばかりに言葉を用いるようになってしまった。
へつらい者とニヒリストに言語使用者が両極化してしまっているわけだが、
それは極めて程度の低い言語の用法であって、少しだってそれによって
人格が向上するようなこともないのだと知らねばならない。

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010 2011/12/29(木) 19:12:53 ID:2GywLDqVBw
肯定否定織り交ぜられた言葉ってのは、精神力がないと理解ができない。
一方で、肯定一辺倒や否定一辺倒の言葉は、精神力がなくても理解できる。
ちょうど、武の素養のない下級の歩兵でも、槍一本もって敵軍に突入するだけならできるが、
緩急織り交ぜての技巧的な武器術などは、武術の練達者でなければできないようなもの。

肯定一辺倒だけでなく、否定一辺倒にも精神力はいらない。
何でもかんでもやたらめったら否定しつくして、「こんなに何でも否定できる俺ってすげえw」
などと思い上がっている人間も多いが、自己以外の事物を否定することには、全く精神力はいらない。
自己を否定する=己を虚しくする苦痛に耐えるためには確かに精神力が必要だが、そのために必要
なのはむしろ一心不乱な精神修養などのほうであり、言葉で自己を否定する自虐などではない。

こうして自分が書いていることも、おそらく多くの人間が理解できない。
それもやっぱり、肯定否定を織り交ぜた物言いだからで、それを理解するためには
どうしたって精神力が必要になる。精神力がないのであれば、たとえどんなに頭が良くても、
肯定否定の織り交ぜによる正義の練り上げを試みた言葉というのは、全く以って理解できない。

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011 2011/12/30(金) 00:51:18 ID:KxzWVmuAos
論語読みの論語知らず

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012 2011/12/30(金) 12:52:27 ID:C9DUpXYL0Q:au
武術や職人芸にも熟練が必要であるように、儒学もまた熟練を必要とする。
天才だから分かる、馬鹿だから分からないなんてこともなく、ただひたすら勉学あるのみ。

儒者は一生涯、勉強し続ける。
大学や大学院を卒業した途端にぱったりと勉強を止めたり、
教える側にのみ回ったりする今の学術姿勢とはえらい違い。

朱子も晩年には、老眼で文字が見えないことに悩まされたというが、
そんな年になるまで儒者は勉強意欲を衰えさせることがないのである。

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013 2011/12/31(土) 00:27:17 ID:Oeh6i.uHv.
論語で学んだ事は、

「志学・而立・不惑・知命・耳順」
「かの国の本性は、恨み骨髄」

40越えしたが、未だに立つのは難しいわ。

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014 2011/12/31(土) 00:37:33 ID:6LrZ1pEO4I
金になるから怨むフリをしているのとは違う。

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