
幕藩体制のような、それはそれでまだ国内に反幕の鼠族が潜んだりといった、
それなりの問題性も取り残していた現実的な体制の盤石化のために
一役買っていたのだから、それはむしろ評価すべき処だろう。
徳川も、近江堺の豪商が織豊の下で専横を恣にしていた頃までは、
茶屋四郎次郎のような御用商人を立てての、より世の汚濁を併せ呑むような
豪商界隈との付き合いをより主としていたのが、本人もまた技芸者として
高い能力を持ち合わせているような人物を商人との仲介役とし始めたことで、
士と商の間により明確な一線を引くことが可能となっていった。
そんな人材は、政官と財が東大閥や慶応閥などを通じて同一不二なほどに
癒着し合っている今の権力中枢などでは、当然のこととして全くお呼びではない。
公権力の側もまた相応に、政と商の分断などの施策を現実的な面から追い求めていた
程度には、さような芸術家クラスの技芸者でも多少以上の政治参画が可能だった一方、
今ではそんな参画の余地など全くない実例としては、確かに有意義なうちだといえる。
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